貧しいが心は豊かな先代以前の肝冷斎たちの生活だ。よく見るとネコ肝冷斎もいるようである。
コロナ終わりました。もうこれからは普通の日々になるのだ。
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みなさんはシゴトでお忙しいのでしょうが、おいらは今日もやることなく、天気もよかったので、舟の上でごろごろしていました。
ここは江蘇・丹陽の新豊の町である。
友人の陸放翁が「入蜀記」に書いているのだが、
過新豊、小憩。李太白詩曰、南国新豊酒、東山小妓歌。又唐人詩曰、再入新豊市、猶聞旧酒香。皆謂此。
新豊を過ぎて小憩す。李太白の詩に曰う、「南国新豊の酒、東山の小妓歌う」と。また唐人の詩に曰く、「再び新豊の市に入るに、なお旧酒の香を聞す」と。みなこの謂いなり。
新豊を(船で)通り過ぎたあたりで(船を停めて)小休憩した。李太白の詩にいう、
―――南の方、新豊の町、歌をうたうのは、東の山手のお店の妓女(こ)。
あるいは別の唐の時代のひとの詩にいう、
―――昔通り過ぎた新豊の町に、おれはまたやってきた。今もまだあのころの酒の臭いがするぜ。
これらの詩はこの地で作られたものだ。
なんでこんなことを言うかというと、
非長安之新豊也。至今居民市肆頗盛。
長安の新豊にあらざるなり。今に至るも居民市肆すこぶる盛んなり。
長安近郊の(白楽天の詩で名高い)新豊の町とは違うということを言っておきたかったのである。この町、唐以来、今(南宋の時代)に至るまで住民も市場も店舗もすこぶる栄えている。
その町が、いまおいらのごろごろしている町なのである。
・・・先だっておいらたちの船は、夕べにこの町に着いた。
処処船遮住、 処処に船、遮住し、
家家有酒酤。 家家に酒酤有り。
朱楼臨碧水、 朱楼は碧水に臨み、
曾駐玉輦輿。 かつて玉輦輿を駐す。
川べりのあちこちには舟が舫われていて、
どこの家でも一夜作りの薄酒を醸している。
酒楼の赤い建物は、青い水の上に聳えて、影を落とす。
なにしろ、ここにはかつて高宗皇帝が滞在されたのじゃからな。
攻め寄せて来る金の大軍を迎え撃つため、南宋初代の高宗皇帝が親征されたときの行在所なんです。(「暮れに新豊市を経て遠山を望む」)
それでニ三日滞在してるんです。
今日の天気にまた一首できたぞ。
也知小倦泊楼船。 また小倦を知りて楼船を泊す。
何苦争先柳岸辺。 何ぞ苦しみて柳岸の辺りに先を争わんや。
今日もまたまた少しばかりやる気がないので、ほばしら付きの船を舫ってしまった(出航する気はない)。
かったるいので、柳のそよぐ岸のあたりを、人より先に散策しようという気にはならない(上陸もしません)。
ああ、ぽんぽん。楽チンだなあ。
それにしてもいい天気で、空を映した川面も緑に澄み切っている。
須把碧篙揺緑浄。 須らく碧篙を把りて緑浄を揺るがさん。
舟人不惜水中天。 舟人は水中に天あるを惜しまず。
むかし、唐の韓愈が「合江の亭」の詩の中で、
緑浄不可唾。 緑浄は唾すべからず。
この清らかな緑のやつ(水面)には、つばきなんか吐いて穢すわけにはいかんぞ。
と言った。それ以来、清らかな水面を「緑浄」というのですが、
とにかくこの青い竹の棹を手にして、緑の清らかなやつを揺らしてみよう。
おれたち舟のりには、水の中にある世界(空が映っているのである)なんて惜しくもないからな。
おいら楊誠斎やすでに下野した先代以前の肝冷斎はもう大丈夫ですが、ほんと、シゴトのあるひとはたいへんですね。
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宋・楊誠斎「小泊新豊市」(しばらく新豊の市に泊す)詩より。先代たちは平和でいいなあ。シゴトしていたころと世界が違ってみえていることでしょうね。