石敢當の図。すごい根性がありそうである。それにしてもこういうのそのそした動きの鈍そうなやつを描くのは、我ながら実に上手いと思う。
コロナ自粛は終わりそうでめでたいんですが、社会人としては、明日からの今週こそ、もうダメだー。
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もうダメなんで、その前に、沖縄や鹿児島にある石敢當についての有名な記事を紹介しておきます。みなさんの参考になりますように。
元のころのことですが、
今人家正門適当巷陌橋道之衝、則立一小石将軍、或植一小石碑、鐫其上曰石敢當、以厭禳之。
今、人家正門の巷陌橋道の衝に適当するに、すなわち一の小石将軍を立て、或いは一の小石碑を植えて、その上に「石敢當」と鐫(ほ)るは、以てこれを厭禳せんとすなり。
近年、人の家の正門が、道路や橋に直面するとき、そこに小さな石の将軍像を立てたり、あるいは小さな石碑を立ててそれに「石敢當」と彫っているのを見るが、あれは、(道路や橋などを)まじなってお祓いしようとしているのである。
「石敢當」というのはなんであろうか。
按西漢史游急就章云石敢當。
按ずるに西漢の史游が「急就章」に「石敢當」と云う。
調べてみると、前漢の史游という人が書いた(とされる呪文集)「急就章」に「石敢當」というコトバがある。
これに唐の顔師古が注を付していて、
曰、衛有石碏、石買、石悪、鄭有石制、皆為石氏。周有石速、斉有石之紛如、其後以命族。敢當所向無敵也。
曰く、「衛に石碏、石買、石悪有り、鄭に石制有り、みな石氏たり。周に石速有り、斉に石之紛如有り、その後、以て族に命ず。「敢當」は向かうところ敵無きなり」と。
その注によれば、「戦国の時代、衛の国には、石碏(せきしゃく)、石買(せきばい)、石悪(せきあく)が、鄭の国には、石制(せきせい)というひとがいて、みな「石」を氏としていた。また、春秋の時代、周に石速(せきそく)が、斉には石之紛如(せきしふんじょ)というひとがいて、その子孫は後に「石」を氏族の名とした。「敢當」(あえて当たらん)というのは、向かうところ無敵である、という意味である」という。
拠所説、則世之用此、亦欲以為保障之意。
説くところに拠れば、すなわち世のこれを用うるは、また以て保障の意と為さんすならん。
この説明を根拠に考えれば、近年この「石敢當」の語を用いているのは、(呪的なものに対する)「保護する障壁」の意味にしようというのであろう。
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元・陶宗羲「南村輟耕録」巻十七より。なかなか沖縄も鹿児島も行く機会がないので、また行きたいなあ。でももうダメだー。