令和2年5月21日(木)  目次へ  前回に戻る

飯を食っていて、ふと「明日からもう飯が食えなくなったらどうしよう」と思うと、どうしてもお代わりをしてしまうものである。

今日も寒かった。人の心も。

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清の時代のことです。

以前、張球という人が詩を作った。

近日廚中乏短供、 近日廚中、短供(たんく)に乏しく、

児童啼哭飯籮空、 児童啼哭すれど飯籮空し。

内人低語向児童、 内人低語して児童に向かい、

爺有新詩上相公。 爺は新詩有りて相公に上(たてま)つる。

 最近、台所には毎日の食べ物さえ乏しくなってきて、

 ガキどもは泣き喚くが飯櫃は空っぽだ。

 女房はひそひそとガキどもをなだめ、

その間におやじは新しい詩を書き上げて、大臣さまに献上しにいく。

「たいへんじゃな」

と、これを見た大臣が、いくばくかの小遣いをくれたそうだ。

さてこの間、わしの友人の三山の鄭汝昂が、広東の府令をしている知合いに詩を送った。

三尺児童事未諳、 三尺の児童は事いまだ諳んぜず、

飢来強撦我襴衫。 飢え来たりて強く我が襴衫を撦(ひ)く。

老妻牽住軽軽語、 老妻は牽き住(とど)めて軽軽に語り、

爺正修書去南嶺。 爺は正に書を修めて南嶺に去らんとす。

 身長1メートルぐらいのガキにはまだ物事が何もわかっていないので、

 腹が減ったとわしの袖を引っ張って離さない。

 古女房がガキを引きとどめてすばやく何かを言っているが、

 その間におやじは何かをしたためて南嶺の向こう、広州に旅立とうとしている。

「そんなことになっておったのか」

其人得詩、因厚贈之。

その人、詩を得て、因りて厚くこれに贈る。

知合いはこの詩を見て、手厚く金品を送り届けた。

鄭汝昂の詩はおそらく張球の詩を真似たものであろう。真似ただけでもこれだけの効果があるのであるから、すぐれた詩は大きく人の心を動かすことができるのである。

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「両般秋雨盦随筆」巻一より。こういうひとの心を動かすような、文章を書いてみたいものですな。

 

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