飯を食っていて、ふと「明日からもう飯が食えなくなったらどうしよう」と思うと、どうしてもお代わりをしてしまうものである。
今日も寒かった。人の心も。
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清の時代のことです。
以前、張球という人が詩を作った。
近日廚中乏短供、 近日廚中、短供(たんく)に乏しく、
児童啼哭飯籮空、 児童啼哭すれど飯籮空し。
内人低語向児童、 内人低語して児童に向かい、
爺有新詩上相公。 爺は新詩有りて相公に上(たてま)つる。
最近、台所には毎日の食べ物さえ乏しくなってきて、
ガキどもは泣き喚くが飯櫃は空っぽだ。
女房はひそひそとガキどもをなだめ、
その間におやじは新しい詩を書き上げて、大臣さまに献上しにいく。
「たいへんじゃな」
と、これを見た大臣が、いくばくかの小遣いをくれたそうだ。
さてこの間、わしの友人の三山の鄭汝昂が、広東の府令をしている知合いに詩を送った。
三尺児童事未諳、 三尺の児童は事いまだ諳んぜず、
飢来強撦我襴衫。 飢え来たりて強く我が襴衫を撦(ひ)く。
老妻牽住軽軽語、 老妻は牽き住(とど)めて軽軽に語り、
爺正修書去南嶺。 爺は正に書を修めて南嶺に去らんとす。
身長1メートルぐらいのガキにはまだ物事が何もわかっていないので、
腹が減ったとわしの袖を引っ張って離さない。
古女房がガキを引きとどめてすばやく何かを言っているが、
その間におやじは何かをしたためて南嶺の向こう、広州に旅立とうとしている。
「そんなことになっておったのか」
其人得詩、因厚贈之。
その人、詩を得て、因りて厚くこれに贈る。
知合いはこの詩を見て、手厚く金品を送り届けた。
鄭汝昂の詩はおそらく張球の詩を真似たものであろう。真似ただけでもこれだけの効果があるのであるから、すぐれた詩は大きく人の心を動かすことができるのである。
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「両般秋雨盦随筆」巻一より。こういうひとの心を動かすような、文章を書いてみたいものですな。