令和2年5月22日(金)  目次へ  前回に戻る

あんまり腹が減るとついつい茶碗のような陶器を食ってしまうことがあるが、ナイフやフォークのような金属まで食ってしまうのは異常である。

今週は終わった。来週はいったいどうなるのか・・・。想像するだにイヤになるので、幻想の世界に身を委ねてしまいます。

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・・・すごいすごい大昔、歴史の始まる薄明の時代のこと―――

黄帝者少帝之子、姓公孫、名曰軒轅。

黄帝なるものは少帝の子、姓は公孫、名は軒轅と曰えり。

黄帝さまというのは、少帝の子で、公孫という姓、軒轅という名前であった。

公孫軒轅少年は生まれつき精神が霊的で、小さいときから物を言うことができ、長じて聡明を以て知られたのだそうです。この時代、チャイナのひとの年表では紀元前2950年ごろらしいんですが、神農氏の天下が衰えてあちこちに悪いやつらが出ていたのを、軒轅は武力を行使して鎮めた。中でも強敵であったのは炎帝で、軒轅は阪泉の野に彼と三度戦って勝利を収め、これによってほぼ天下を平定したかと思われたが、最後にそれまでの同盟者であった蚩尤(しゆう)が反乱を起こし、ラスボス(最大最終の敵)として立ち向かってきたのである。

天下の諸侯たちは軒轅のもとに集まり、

与蚩尤、戦於涿鹿之野、遂禽殺蚩尤。

蚩尤と涿鹿(たくろく)の野に戦いて、遂に蚩尤を禽りて殺せり。

蚩尤の勢と涿鹿の野というところで戦って、最終的に蚩尤を捕らえて殺した。

やりました。

諸侯は指導者の軒轅を尊び、神農氏に替えて天子として建てたので、これを「黄帝」と称する・・・。

・・・と、「史記」五帝本紀第一に書いてあります。

ここまでは「正史」の一つである「史記」に書いてあるんだから、真実のことかも知れません。いや、チャイナでは権威が真実を作るのですから真実と考えざるを得ません。

ところで、この蚩尤のやつらが恐ろしいやつらでしてな。

蚩尤というのは個人の名にあらず、蚩尤氏という部族の名であった。

有蚩尤氏、兄弟七十二人、銅頭鉄額、食鉄石。

蚩尤氏に兄弟七十二人有り、銅の頭、鉄の額、鉄石を食う。

蚩尤氏には、兄弟(おそらく一族)が七十二人(七十二部族でしょうか)いて、みな頭が銅製、額は鉄で出来ていて、鉄や石を食いものにしていた。

時代はまさに青銅器時代と鉄器時代の交代期であった。

涿鹿の野で戦ったときには、

蚩尤能作雲霧。

蚩尤はよく雲霧を作(な)す。

蚩尤側は、雲・霧を噴出して戦った。

煙幕、あるいは毒ガス類を使ったのかも知れません。おそろしいやつらだ。

今(ゲンダイではなく六朝時代のことです)でも、涿鹿(今(六朝時代)の冀州(ゲンダイの河北)の地にある)には蚩尤神というのがいて、

俗云人身牛蹄、四目六手。

俗に云う、人身にして牛蹄、四目にして六手あり。

人民たちのいうところでは、ニンゲンの体をしているのだが、足はウシのようであり、目が四つ、手が六本なのである。

そして、

今冀州人掘地得髑髏如銅鉄者、即蚩尤之骨也。

今、冀州の人、地を掘りて髑髏の銅鉄の如きものを得るは、即ち蚩尤の骨なり。

今(六朝時代)、冀州のひとが地面を掘っていて、銅か鉄製と思われる(金属製の)ドクロを掘り出すことがあるのは、まさにこの蚩尤の骨なのである。

こんなのがおそらく部族(あるいはチーム)ごとに、七十二体あったわけです。

以上の記述から、おそらくニンゲンではなく、ニンゲンが中に入るモビルスーツ型兵器(参照→https://matome.naver.jp/odai/2137352360892836101)であったろうと推測されます。

さらに、いろんな遺物や伝説がある。

今有蚩尤歯、長二寸、堅不可砕。

今、蚩尤の歯有り、長さ二寸、堅くして砕くべからず。

今(六朝時代)に至るも、蚩尤の「歯」というものが伝わっており、長さは4.8センチぐらい(魏晋期の一寸≒2.4センチで計算)もあり、堅く、砕くことができない。

これは作者が見たことがあるように書いています。

秦漢之間、説蚩尤氏耳鬢如剣戟、頭有角、与軒轅鬥、以角觝人、人不能向。

秦漢の間、蚩尤氏の耳鬢は剣戟の如く、頭に角有りて、軒轅と鬥(たたか)うに角を以て人に觝れ、人向かうあたわざりき、と説けり。

秦や漢の時代(の記録を見ると)、蚩尤氏の耳や側頭部は剣やほこのように(硬く)、頭には角があって、軒轅と白兵戦を演じたときには、その角を使って相手を攻撃するので、相手の兵は向き合うことができなかった、という伝説があった。

また、

今冀州有楽名蚩尤戯、其民両両三三、頭戴牛角而相觝。漢造角觝戯、蓋其遺製也。

今、冀州に楽の名を蚩尤戯という有り、その民両両三三して、頭に牛角を戴きて相觝る。漢の角觝戯を造れるは、けだしその遺製ならん。

今(六朝時代)、冀州地方には「蚩尤の舞」という民俗芸能が伝わっている。人民が二人づつ、あるいは三人づつ組になって、頭にウシの角をのせてお互いに突っつきあう真似をするものだ。漢の王宮で「角触れあいの舞」というのを創作したというのは、おそらくこの「蚩尤の舞」を取り入れたものであったろう。

さらにまた、

山西・大原地方では、

村落間、祭蚩尤神。不用牛頭。

村落の間、蚩尤神を祭れり。牛頭を用いず。

村落地方に、「蚩尤さま」という神を祀っているところがある。ただし、こちらではウシの頭は使われていない。

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梁・任オ「述異記」より。こちらは「正史」でないので権威がありませんから、ウソのことかも知れません。民俗的な記録がたいへん貴重です・・・が、「正史」ではありませんから権威はないんです。

なお、この「蚩尤氏の兄弟」は、たとえ外殻はモビルスーツであるとしても、食べるのは中のニンゲンですから、古代人は鉄や石でも食えたことが判明しました。われわれが進化の過程で失ってしまった能力を持っていたのカモ。

 

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