みなさん、道を訊くなら次の三人のうちだれに訊きますか?
1 くそおにばばあ
2 いじわるじじい
3 あまんじゃく
今日も昨日の続きのように雨でした。
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今日のお話は昨日の続きではなく、昨日より以前のお話なんです。昨日の賢者・田子方の先生である孔子の高弟・子貢のお話でございます。
「子貢」は字で、姓は「端木」(たんぼく)、名は「賜」(し)ですが、この書物では「子贛」(しこう)と表記されているので、以下原文では「子贛」と書きます。
子贛之承。
子贛、承に之(ゆ)く。
子貢が、所用があって、山東の承の町に出かけた。
子貢はお金持ちですし、おそらくこのころ斉公の賓客(顧問)であったと思われますので、馬車で行くのですが、その途上、
見道側巾弊布擁蒙而衣衰。
道に側巾弊布、擁蒙して衰(さい)を衣(き)るもの有り。
道に、半分しかない破れた布で顔を覆い、喪服を着たひとがいた。
子貢は、このひとに馬車の上から問いかけた。
此至承幾何。
これより承に至る、幾何(いくばく)ぞや。
「ここから承の町まで、どれぐらいありますかな?」
しかし、そのひとは
嘿然不対。
嘿然(もくぜん)として対せず。
黙り込んだまま、答えようとしなかった。
子貢が言った、
人問乎己、而不応何也。
人の己れに問うに、応ぜざるは何そや。
「ひとがご自分に質問しているんですから、答えようとしたっていいではないですか。何を考えてるんだろうね」
すると、そのひとは、やおら
屛其擁蒙。
その擁蒙を屏(しりぞ)く。
自分の顔を覆っていた布を脱ぎ捨てた。
その下からは、
うひゃー!!!!!
というような不気味な顔が出てくる・・・かと思いきや、普通の顔でした。
その人、うたの形で言う、
望而黷人者仁乎。 望みて人を黷(けが)す者は、仁なるか。
覩而不識者智乎。 覩(み)て識らざる者は、智なるか。
軽侮人者義乎。 人を軽侮する者は、義なるか。
馬車の上から見下して、人をバカにするのが、心優しい仁者なのか。
人が応えようとしていないのを見ていながら、それを理解しようとしないのは、思慮深い智者なのか。
他人を軽んじ侮るのが、真実を求める義者なのか。
―――どうなのだ?
おおっと、しまった、これは賢者だったかも!
子贛下車曰、賜不仁過問、三言可復聞乎。
子贛、車を下りて曰く、「賜は不仁にして過ち問えり、三言また聞くべきか」と。
子貢は慌てて馬車から飛び降りると、そのひとに言った。
「この賜(し)めは、ダメ人間なので間違った質問をしてしまいました! (そんなことではなく、)いまの三つのコトバ(仁・智・義)について、もっと教えてくださいませんか!」
その人は言った、
是足於子矣、吾不告子。
これ子において足れり、吾、子に告げず。
「三つともおまえさんには十分あるようじゃ。わしがおまえさんに教えてやる必要はなかろう」
イヤミで言ったのか、本気で言ったのか、よくわからないんですが、子貢は低頭した。それを横目で見て、そのひとは黙って去って行ってしまった。
それ以来、子貢は、
三偶則式、五偶則下。
三偶すればすなわち式し、五偶すればすなわち下る。
「偶」には二説あります。@「遇」であり、「三人・五人に遇う」という意味。A「耦」であり、当時の農耕は二人一組でペアを組んで行っていたのでこれを「耦」(ぐう)といい、三耦とは六人のこと。
とりあえずAの方がそれっぽいので、A説にしておきます。
三組(六人)の農夫に出会うと、馬車の上で手すりに寄りかかって一礼し、五組(十人)の農夫に出会うと、馬車から飛び降りて挨拶するようになった。
さらに立派なひとになったのである。
なお、このひとは、
其名曰舟綽。
その名を舟綽(しゅうしゃく)と曰う。
名前を「舟綽」という賢者だったそうである。
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「説苑」巻十・敬慎篇より。賢者は賢者に真理を教えられて、だんだん立派になっていくんです。おいらも道ばたで「なんじ、新聞記者と賭け麻雀をしてはならんぞ!」と叫んでいれば、賢者と認められるかも。真理ですからね。