ま、待て。不死鳥であるおまえを斬っても、わしは何にも得しないでぶー。不幸でぶー。
今日はかなり暑かった。暑い日はヒヤリとした白刃でも首に当てるとキモチいいかも。
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戦国時代のことです。墨子先生(「子墨子」)が斉の大王さまに面会して、こんな話をしたんだそうです。
今有刀於此。試之人頭、倅然断之。可謂利乎。
今、刀のここに有りとす。これを人の頭に試みるに、倅然(そつぜん)としてこれを断つ。利と謂うべきか。
「いまここに、刀が一本あるとします。これをニンゲンの頭部で試してみることにして、斬りつけてみたところ、スパッと首を切り落とすことができた。「鋭い」と言えましょうか」
「倅」は「副」「添え」の意から、手助けになる息子という意味で「せがれ」と訓んだりしますが、ここでは「卒」や「猝」の代わりに使われていて「にわかに」の意味。
大王曰、利。
大王曰く「利なり」。
大王さまは言った。「鋭いといえよう」
墨子先生はまた言った。
多試之人頭、倅然断之。可謂利乎。
多くこれを人頭に試みるに、倅然としてこれを断つ。利と謂うべきか。
「たくさんの人間の頭部で試してみるか、といって試してみたらやっぱりスバスバ切り落とすことができた。「鋭い」と言えましょうか」
大王曰、利。
大王曰く、利なり。
大王さまは答えた、「鋭いといえよう」。
刀則利矣。孰将受其不祥。
刀はすなわち利なり。いずれかその不祥を受けんとせんか。
「ではその刀は「鋭い」ことがわかりました。しかしそんなに多くの命を奪うという不吉なことをしてしまったのです。いったい誰がその「不吉」をかぶって不幸になるのでしょうか」
「むむむ・・・」
大王さまは少しだけ考えて、おっしゃられた、
刀受其利、試者受其不祥。
刀はその利を受け、試みる者、その不祥を受けん。
「刀はその「鋭さ」を評価されるだけで、試してみようとしたやつがその不幸をかぶることになるであろう」
「それでは」
墨子先生がおっしゃった。
併国覆軍、賊敖百姓。孰将受其不祥。
国を併せ軍を覆し、百姓を賊敖す。たれかまさにその不祥を受けんや。
「他国を併合し、他国の軍を覆滅し、人民を苦しめ殺してしまう―――そのような行動に対する不幸は誰がかぶることになるとお思いになりますか」
「むむむむむむ・・・」
大王俯仰而思之、曰、我受其不祥。
大王、俯仰してこれを思い、曰く、「我、その不祥を受けん」。
大王は見上げてみたり俯いたりして考えていたが、やがて言った。
「それは・・・国家戦略を決める権限を持つわしが、不幸をかぶるんではないかなあ」
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「墨子」魯問篇第四十九より。責任は刀や軍隊にあるのではなくて、それを使う者にあるのじゃ、というふうに読むと何やら近代的ですが、墨子先生は、本気で、不吉なことをすると「不幸」が降りかかる、と考えていたはずです。そういう思想だったので。ゲンダイでは、権限はあくまで主権者が持っているんで、「厚生労働省は不吉だな」とか「東京都は不祥だな」とか評価しているうちに国民に降りかかってきてしまいます。