好物のきゅうりを捧げてくれるニンゲンがいるみたいでありがたいのでカッパ。どうせなら、ニンゲンも捧げてもらえると、自動的にシリコダマが取れて一段とありがたいのでカッパー。
今日は暖かかったですね。もう夏が近づいてまいりました。過去の自分を反省して心を入れ替えたりしてみよう。(可能なら)
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春秋時代の終わりごろのことです。
晋の正卿であった趙簡子(ちょう・かんし)(→参照)は、その家臣の欒激(らん・げき)と黄河のほとりに出かけ、
将沈於河。
まさに河に沈めんとす。
欒激を黄河に沈めて河神へのお供え物にしようとした。
ある人がそれを制して
「これまで信頼してきた欒激どのをどうしてお殺しになろうとするのか」
と問うたところ、趙簡子は
「それがことよ!」
と、しゃべり出した。
吾嘗好声色矣。而欒激致之。吾嘗好宮室台榭矣。而欒激為之。吾嘗好良馬善御矣。而欒激求之。
吾、かつて声色を好めり。而して欒激これを致す。
吾、かつて宮室台榭を好めり。而して欒激これを為す。
吾、かつて良馬善御を好めり。而して欒激これを求む。
わしは以前、音楽と美女に夢中じゃった。そのころ、欒激はその対象となる女性たちを集めてきてくれた。
うっしっし、すばらしい。
わしは以前、建物・居室・楼閣・展望塔など豪華な建築に夢中じゃった。そのころ、欒激はわしのためにそれらを築いてくれた。
わしは以前、よい馬とすぐれた御者によって走る馬車に乗るのに夢中であった。そのころ、欒激はわしのために馬と御者を探してくれた。
いいやつではありませんか。
今吾好士六年矣。而欒激未嘗進一人。
今、吾、士を好むこと六年なり。しかるに欒激いまだかつて一人をも進めず。
今、わしは、この六年間にわたって、才能ある人材を集めるのに夢中である。それなのに、この欒激めは、いまだに一人の人材も推薦してこないのだ。
是進吾過而黜吾善也。
これ、吾に過ちを進めて、吾が善を黜(しりぞ)くるなり。
こいつめは、わしに間違ったことをさせるように勧め、わしがいいシゴトをしようとするのを止めさせようとしているのじゃ!
そこで、黄河の神に捧げる犠牲の役目をさせることにした次第である、というのであった。
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「説苑」巻一「君道」篇より。ひとには得手不得手があるんで、一人のひとにいろいろ求めてはいけない、と思うんですが・・・。欒激さまがこのまま人身御供になってしまったかどうかは、記録されておりません。なお、この話は「呂氏春秋」にも出てきます。「説苑」では「君道」篇に載っているんで、趙簡子がかつての自分の行動を反省したことを評価しているようですが、「呂氏春秋」では「驕恣」篇に出てくるので、趙簡子の振舞いが勝手気ままである、という批判が中心になっているようです。