令和2年4月5日(日)  目次へ  前回に戻る

われわれはホンモノの鳥でコケ。あひるやペンギンのようなニセモノに負けてはいられぬでコケ。

ニセモノにならないようにしないといけません。

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清の時代のことです。とある書生が寺で受験勉強をしていたとき、

遇放焔口。

放焔口(ほうえんく)に遇う。

「放焔口」とは何ぞや。これは「焔口(えんく)を放つ」という行事です。

不空訳「救抜焔口陀羅尼経」によれば、ある時、仏弟子の阿難(アーナンダ)が禅定に入っていると、その前に「焔口」(えんく。「何かを食べようとすると口が燃えてしまって何も食べることができない」)という名前の餓鬼が現れ、

「うっしっし、おまえは三日後に死んで、わしらと同じ餓鬼になるのだ」

と予言した。そこで阿難が

「どうすればそうならずに済むか」

と訊ねると、

「わしらのために施餓鬼(せがき)をせよ」

と言った。阿難は言われるままに施餓鬼を行って、餓鬼となることを免れた。そして今に至るまで続く施餓鬼会の方法を伝えた云々・・・。

「放焔口」は、餓鬼の焔口を救済して解放してやる、という意味で、要するに施餓鬼会のことです。

たまたま、お寺で行われた施餓鬼会の様子を見た。

見其威儀整粛、指揮号令、若可駆役鬼神。

その威儀整粛とし、指揮号令を見るに、鬼神を駆役すべきがごとし。

いかめしい儀礼は整備されて厳粛で、僧侶らの動きや指導僧の指揮の仕方など、実際に、精霊や妖魔を使役することができそうである。

「うーん」

書生は感心して言った。

冥司之敬彼教、乃過于儒。

冥司のかの教えを敬うこと、すなわち儒に過ぎたり。

「あの世の世界で仏法が敬われるのは、おれたち儒者の比ではなさそうだなあ」

儒学といいながら、実際は受験勉強ばかりである。仏法の方がいいかも知れんなあ、どうせ死ぬんだしなあ・・・。

とつぶやいていると、

一叟在旁。

一叟、旁らに在り。

いつの間にか、じじいが一人、傍にいた。

じじいは書生のつぶやきを聞いていたみたいで、にやにやしながら話しかけてきた。

経綸宇宙、惟頼聖賢、彼仙仏特以神道補所不及耳。冥司之重聖賢、在仙仏上。

宇宙を経綸するはただ聖賢に頼るのみにして、彼の仙仏は特に神道を以て及ばざるところを補うのみなり。冥司の聖賢を重んずるは、仙仏の上に在り。

「この世界を治めていくには、ただ儒教の孔子や孟子のような聖人賢者しか頼りにならないんじゃ。仙人とか仏菩薩とかは、神秘的な方法で、聖人賢者の気づかないところを補佐するだけなんじゃよ。だから、あの世でも、孔子さまや孟子さまは、仙人や仏菩薩より尊敬されているんじゃ」

「そ、そうなんですか」

「そうなんじゃよ。しかし、重んじられるのは、ほんとうの聖人賢者だけじゃ。

若偽聖偽賢、則陰干天怒、罪亦在偽仙偽仏上。

偽聖偽賢のごときは、すなわち陰に天の怒りを干(おか)し、罪はまた偽仙偽仏の上にあり。

ニセ聖人とかニセ賢者とかは、気づかないうちに天帝の怒りを買ってしまう。その罪はニセ仙人やニセ仏菩薩よりも重い。

まあそれでも、

古風淳仆、此類差稀。四五百年以来、累囚日衆。

古風淳仆にしてこの類やや稀なり。四五百年以来、累囚日に衆(おお)し。

昔はひとの心も純粋だったので、ニセものはそんなに多くは無かった。この四百年から五百年間は、どんどん罪人が増えてきておる」

「へー、そうなんですか」

四五百年前、というと、南宋の後半ぐらい、朱子はなんとか免れていそうですが、その弟子の弟子ぐらいからは罰せられる方に入っているようである。

「あんまり多いので、

已別増一獄矣。

すでに別に一獄を増やせり。

地獄が一つ増えたらしいぞ。

仙人や仏僧の言うことなんか、オロカな民を騙して金品を施させるぐらいでしかないが、儒者は違う。

以其貽害人心、為聖賢所悪故也。

その害を人心に貽(おく)るを以て、聖賢の悪(にく)むところと為れり。

ニセ儒者は人民の心理をそこなってしまうのじゃ。だから、本物の聖人賢者から激しくにくまれているのである」

「そ、そうなんですか!」

書生駭愕。

書生駭愕す。

書生は、驚き、びっくりした。

・・・しかし、ふと疑問が湧いたので、訊ねてみた。

此地府事、公何由知。

これ地府の事ならん、公何によりてか知るや。

「これは、地獄での出来事ですよね。じいさん、あんたなんでそんなことを知っていなさる・・・?」

老人はにやりと笑うと、

ぱちん。

一弾指。

一弾指す。

指を弾いた。

「あ」

書生が気づくと、

已無所睹矣。

すでに睹るところ無し。

もう目の前には、誰もいなかった。

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「閲微草堂筆記」巻十「如是我聞」四より。あの世でもニセ聖人とかニセ賢者とかがいて、ばれるとキツイ目に合わせられるようです。さすが乾隆帝の信頼篤き大学者・紀暁嵐先生の著述です。近代的な風刺が利いていて、現世の社会風俗に良い影響を与えてくれそうです・・・ね。

コロナが、いよいよ正念場になってきたみたいです。これはさすがにニセものの危機ではないようなので、覚悟してかからねばなりません。

 

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