ぶうすかと眠っている間に春は過ぎ、ついでにコロナ禍も終わるかと思ったが、甘かったでメー。
いよいよ明日にも緊急事態宣言だそうです。
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唐の時代のことです。
1.鎮将・王忱(おう・しん)は
清苦粛下。
清苦にして下を粛す。
清廉で苦労しながら、部下を厳しく律した。
と言われるひとである。
有軍士犯禁、杖而枷之、約曰、百日乃脱。
軍士の禁を犯す有るに、杖してこれに枷し、約して曰く「百日すなわち脱せん」と。
軍規を破った兵士が出たとき、杖で打つ罰を与えた後、枷を嵌め、「百日後に外してやる」と約束した。
「百日は少しキビシイのではございませんかな」
と兵士の肩を持つ者もあったが、
「既に決めたのであるから、百日は百日じゃ」
「例外もあるものでございましょう」
未及百日而脱者有三。
いまだ百日に及ばずして脱するもの、三有り。
「そうじゃな・・・。百日未満でも外してやる場合が三つだけある」
そうして、兵士に向かって言った。
我死則脱、爾死則脱、天子之命則脱。
我死すればすなわち脱せん、爾死すればすなわち脱せん、天子の命あらばすなわち脱せん。
わしが死んだときは外してやることにしよう。おまえが死んだときも外してやる。あと一は、皇帝から外すようご命令があったときだけじゃ。
非此、臂可折、約不可改也。
これにあらずんば、臂は折るべくも、約は改むべからず。
それ以外、わしの腕を折られたって、この決め事は変更できぬ」
由是秋毫不犯。
これにより、秋毫も犯さず。
これ以降、兵士らは何一つ軍規を破ることはなかった。
2.李恵登は軍吏から隋州の刺史にまでなった人であるが、いつも、
吾二名惟識恵字、不識登字。
吾の二名、これ「恵」字を識るのみ、「登」字を識らず。
「わしの名前は二文字から成っているが、このうち、ひとに「恵」むことだけしか、わしは知らんからな。高い地位に「登」ることは知らんぞ」
と言っていた。
為政清浄無迹、不求人知、闔境大化。
政を為して清浄にして迹無く、人の知るを求めざるも、闔境大化す。
その施政は清廉潔白、無理に何かをした、という痕跡は何もなく、都のお偉方にはその能力を知られようともしなかったが、所管の域内は大いに治まった。
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いずれも「唐国史補」巻中(「唐語林」巻二所収)より。百日はキビシイところですが、緊急事態宣言は一か月が目途らしい。経済への影響は多大であろうと予想されますが、全国が緊急というわけではないらしいんで、指定域内のみなさん、なんとかやっていきましょう。