「おやびん、がんばって!」「うわーん、おいらは逆風に弱いんでーちゅ」と逆風に負けそうな風の精霊ジルフェ―だ。この弱さでは、風の精霊だと言い張っても、「フェイクじゃないの?」と指摘されてしまうであろう。
それにしてもフェイクニュースの多い世の中です。メディアスクラムでやったりしますから、賢者にも見抜けないかも知れません。仕掛けているひとたちが自分は賢者だと思っているようなのが、これまた笑止千万じゃ。
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フェイクについてのお話をいたします。
清の秋帆先生・畢沅といえば、進士さまで翰林院侍読という大官僚、歴史考証や金石学に長け、大著「続資治通鑑」を編集した超大知識人で、白蓮教徒の乱の鎮圧に活躍した名将だ、というすごい人ですが、先生にはいくつかの「癖」があり、その一つが書画の収集癖でありました。
先生にお会いしたとき、笑いながら見せてくれたのが、
蘇東坡直筆の「橘頌」
で、元の名筆家・趙松雪の題跋が付いて、長く洞庭の席氏が所蔵していたという代物・・・だそうです。
蘇東坡の書は個性的ですばらしく、北宋四大書家の一人なのですが、政治的には晩年近くに新法党の弾圧で本人は海南島に左遷され、その書画は焼き棄てられたことがあるので、世に伝わるモノがあまり多くないので有名。
「すばらしいですな」
「ホンモノなら、なあ」
「え?」
先生が河南の総督をしていたとき、沈なんとかというのが持ってきたそうなんです。
竟以千金得之。
ついに千金を以てこれを得たり。
「結局、千万円払って買ったんじゃが・・・。
沈某兄弟二人善作偽書以售於人。遂借以双鈎与原蹟無二。
沈某兄弟二人、善く偽書を作り以て人に售る。遂に借りて双鈎を以て原蹟と二無し。
沈某の兄弟は二人で、実にフェイクの書を作るのがうまくて、これを人に売っていたのじゃ。持ち主から借りて、双鈎法というやつで写し取って作ったので、ホンモノと全く見分けがつかなかったんじゃ」
「双鈎法」は、文書の上に薄い紙を置き、それに文字の周辺だけを細い線で写し取って、筆跡どおりの(ただし中は空白の)写しを作る技法です。本来はこれを木板や石に貼り付けて彫りつけるために作るのですが、沈兄弟は本物と同じようなくすんだ紙に写し取って、墨のかすれ方もそのままに中を塗りつぶすという高度な技法を使っていたのだそうです。
「なぜニセモノと分かったのですか?」
「ホンモノがまだ席氏のもとにあることがわかったんじゃ」
「なるほど」
「しかしあんまり出来がいいので、手許に置いてハナシの種にしている」
「なるほど」
「趙松雪といえば・・・」
と言いながら先生が見せてくれたのは、
趙松雪筆写の「漢書・汲黯伝」
で、欧陽脩の筆跡をフューチャーしながら、
爛漫千余言、当為松雪平生傑作。
爛漫たり千余言、まさに松雪平生の傑作と為すべし。
光あふれ輝くばかりの千数百字、まさに趙松雪、生涯の傑作とすべき名品である。
「すばらしいですな」
「ホンモノなら、なあ」
「え?」
なにしろ、
文衡山補書、絹紙相雑、真贋莫弁。
文衡山書を補い、絹紙相雑わり、真贋弁ずるなし。
明の文人・文衡山が修復した、と記してあり、補綴した絹が紙と相まじわって、ニセモノだと断定できるようなものではない。
「なぜニセモノだとわかったのですか?」
「いや、ホンモノかもしれない。
余近年所見者已三本。
余、近年見るところのもの、已に三本なり。
「わしは最近、これ以外に、同じものを三巻見たんじゃ。
四分の一の確率じゃな」
甚矣哉、作偽之人也。
甚だしいかな、偽りを作るの人や。
すごいものである、フェイクを作るひとは。
「これはさすがにホンモノじゃないかなあ・・・」
と言いながら出してくれたのは、
趙松雪直筆「神仙篇」絶句五首
で、仙人になったと思われる五人の人物についてうたった詩が書かれた巻物、最後に
大徳改元三月廿六日水精宮道人書
「大徳」は元・成宗(ボルティギンティムール)の年号で、1297年の2月に改元されている。「水精宮道人」というかっこいい雅号は趙松雪のものだ。
字如中指大、霊和峭抜、当似松雪中年得意之筆。
字は中指の如く大、霊和にして峭抜、まさに松雪中年、得意の筆に似たり。
文字は中指ぐらいの大きな字で、ふわりと柔らかいかと思えば抜きんでて峻厳、まさに松雪の壮年期に、自ら満足のいった書であるように見える。
しかし・・・、
観其巻中、如億之作憶、娥之作蛾、阿誰作何誰、進趨作進趣。
その巻中を観るに、「億」を「憶」と作し、「娥」を「蛾」と作し、「阿誰」を「何誰」と作し、「進趨」を「進趣」と作すがごとし。
その巻物の文章をよくよく見るに、数字の「億」と書くべきところが「憶」と読め、美人を表現する「娥」と書くべきところが「蛾」と読め、「どなた」と優しく訊ねる「阿誰」(あすい)と書くべきところが「何誰」(何の誰ぞ)と読め、「進み趨る」と書くべきところが「趣きに進む」と読めるのだが・・・。
うーん。
恐松雪未必至此。
恐るらくは松雪、いまだ必ずしもここに至らざらん。
どう考えても、趙松雪が、こんな間違いをすることはないような気がするんですが・・・。
その時はなかなか言い出せなかったのですが、先生自身も気づいていたのでは・・・。その後、その巻軸を、なにやらという大臣への贈り物にしてしまったらしいので。
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「履園叢話」巻十「収蔵」より。世の中キビシイですね。〇日新聞や〇〇テレビには気をつけよう。
ちなみに、畢秋帆先生には、この収蔵癖のほかに、同性に対する「色癖」が有名で、若い衆に入れあげて、恋文の代筆をこちらは女色で名高い小倉山房主人・袁牧先生(明日登場します)に依頼して、それがバレてスキャンダルになったことも・・・。しかし命取りは「銭癖」で、白蓮教徒鎮圧用に要求した予算を私腹を肥やすために使った、として、死後その位階と財産を取り上げられてしまいました。このような書画の収集に化けてたのかも知れません。哀しい哉。