オリオン座ベデルギウスがバクハツして超新星になったら、ドウブツたちもこんなふうに見上げるのであろうか。われらも生命の根源を思い出して、宇宙を見上げるのであろうか。
蛍光灯は直りません。
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昔も、手元の灯りが無くなって困ったひとがいたんです。
清の時代のこと、浙江・呉県の劉斌(りゅうひん)という布衣(仕官していない人)は、雅号を文山といい、
善画山水。
善く山水を画く。
山水画を描くのを得意としていた。
ある晩、助手の童子に墨を磨らせて、
挑灯染翰、跋燭誤滅。
灯りを挑(かか)げて染翰するに、燭を跋(ふ)みて誤滅せり。
灯火のもとで筆を濡らして画を描いていたところ、燭台を足で引っ掛けて火を消してしまった。
「先生、消してちまいまちたよ」
「すまんすまん、真っ暗じゃなあ」
と、そのとき、
忽若月光射窗、其明如昼。
たちまち月光の窗を射るごとく、その明るさ昼の如きとなれり。
突然、月光のような光が窗から射しこんできて、まるで昼間のような明るさとなった。
「どうちたのでしょうか?」
と二人で窗を見上げますと、・・・出ました。
視窗上隠現一鬼形。不甚悪、而眼大如椀。
窗上に一鬼形の隠現するを視る。甚だしくは悪(みに)くからざるも、眼の大なること椀のごとし。
窗の上には、妖怪がちらちらと姿を現していたのです。その姿、人間に近く、それほど恐ろしげではないのだが、両目が、まるでお椀のように丸く、でかいのであった。
そして、
眸光炯炯、竟若双炬。
眸光炯炯として、ついに双炬のごとし。
その両目がぎらぎらと光を放ち、まるで二つの松明のようなのです。
部屋の中が明るくなったのはこの目の光のせいだったのだ。
「うわーん、出まちたー、オバケでちゅー!」
しかし、劉文山は慌てず騒がず、にやりと笑って、
拙筆当巨眼観、得毋笑瞎。
拙筆、巨眼の観に当たるも、笑瞎せらるなきを得ん。
「わしの絵は、そのような巨大な目で見ていただいても、可笑しくて見てられないなんてことは絶対にございませんぞ」
童子がびびって気を失ってしまっていましたので、自分で
燃燭復画、画成、収拾笥中。
燭を燃やしてまた画き、画成りて笥中に収拾す。
燭台に灯をつけ直してまた絵を描いた。絵が完成したところで、まるめて箱の中に収めた。
ようやく童子が気を取り戻し、
「あれ、先生、オバケはどうちまちたかね」
「ああ、画に集中しているうちに、
鬼則不見。
鬼すなわち見えずなりぬ。
妖怪は消えてしまったようじゃな」
そう言って、
「やっぱりわしの絵は評価されとるんじゃなあ、うはははは」
とうれしそうに笑ったのだそうでございます。
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清・朱海「妄妄録」巻六より。文雅なことであります。だが、この巨眼の精霊、もしかしたら「超新星」を見間違ったかもしれません。もうすぐベデルギウスがバクハツしたら、こんなふうに夜も灯り要らなくなるのかな。それまで蛍光灯買うのガマンしようかな。