令和2年2月17日(月)  目次へ  前回に戻る

放っておけばどんどん増えて来て、何とかしていくひよこたちだ。

なんとか画像が挿入できるようになったようです。勝手にできるようになったみたいなので、原因とかはわかりません。あとは蛍光灯を買ってくればもう少し明るいところで作業ができるのだが・・・。でも自分では何もしたくないよう。

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江河不悪小谷之満己也、故能大。聖人者事無辞也、物無違也、故能為天下器。

江河は小谷の己を満たずを悪(にく)まざるなり、故によく大をなす。聖人なるものは事辞する無く、物違う無きなり、故によく天下の器と為る。

大河は小さな谷川が自分に注いでいっぱいにしていくのをいやがらない。だからあんなに大きくなったのだ。

偉大なひとは、どんな仕事もいやがらない、どんな他者にでも対応する、だから世界の役に立つ存在となったのだ。

このことから、

江河之水、非一水之源也。千鎰之裘、非一狐之白也。夫悪有同方不取同而已者乎。

江河の水は、一水の源にあらざるなり。千鎰の裘は、一狐の白にあらざるなり。それ、いずくにか同方にて同じきを取らずして已む者有らんや。

大河の水は、ただ一つの源流からなっているのではない。

高価な毛皮の服は、ただ一匹のキツネの腋の下にある白い毛から作れるわけではない。

さて、いったいどこに、自分と同じ方向性を持っている仲間を、同じ面を認めて採用しないでいいと考える者がいるだろうか(誰だって、水や白い毛のような同じ特質を持つものと共同しあって大きな存在になろうとするに決まっている)。

ということがわかるであろう。

「鎰」(いつ)は金の目方で、二十両をいい、戦国時代の一両は16グラムだそうですから、「千鎰」は黄金320キログラム、ということになります。とりあえず「すごい高価な」という意味なんだと思ってください。

言っておくが、

其直如矢、其平如砥、不足以覆万物。

その直きこと矢の如く、その平らかなること砥の如きは、以て万物を覆うに足らず。

矢のように真直ぐなもの、砥石のように真っ平なもの、それらは、あらゆるものを覆って仲間にすることはできない。

直ぐなだけではダメなんじゃ。

溪狭者速涸、逝浅者速竭、墝埆者其地不育。

溪の狭きものは速やかに涸れ、逝くことの浅きものは速やかに竭き、墝埆(ぎょうかく)なるものはその地育せず。

狭い谷を流れる谷川はすぐに水がなくなる。

流れの浅い川はすぐに乾いてしまう。

ごつごつと小石だらけの土地は、作物を育てることができない。

ゆったりと、ごつごつせずに、なにものをも受け容れることですな。そういうなんでも受け容れる君主をわしは「兼王」(分け隔て無き王さま)と呼んでおります。

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「墨子」親士第一より。放っておけばどんどん流れ込んで来て何とかなります・・・と書いてあるような気がするんです。蛍光灯も突然直るかも知れないので、もうしばらく放っておくことにします。

 

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