平成32年1月26日(日)  目次へ  前回に戻る

コロポックルやキタキツネや雪だるまんは寒くてもいいのでしょうが・・・。

日本国寒い。冷え切ってきたぜ。

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源師房(1008〜1077)は村上天皇の子・具平親王の子である。従兄に花山・一条・三条と三人も天皇がおられ、

才識博洽善属文、兼工和歌。

才識博洽にして善く文を属(つく)り、兼ねて和歌に工みなり。

才能があり知識も博く、漢文が上手で、和歌も巧みであった。

という優秀なひとでした。

関白の藤原頼通の正室が具平親王の娘・隆姫女王で、具平親王が早くに亡くなったため、師房は頼通に引き取られていた。頼通のおやじの御堂関白・藤原道長にとっても身内ということになります。

道長も頼通も彼がお気に入りで、頼通さまは道長さまの了解を得て、

約為父子、以其妹妻之。

約して父子と為り、その妹を以てこれに妻(めあ)わす。

義理の父・子となり、さらに自分の妹と結婚させた。

この妹は、道長さまの五女・尊子さまです。頼通さまのおふくろは高階倫子、尊子さまのおふくろは源明子で、醍醐源氏・右大臣源高明の娘ですから、尊子さまは安和の変で失脚した高明の孫でもある。

道長さまの五人の娘の中で、天皇か皇太子に嫁がなかったのはこの尊子さまだけであった。

師房のところに、

或竊言其醜者。

或ひと、ひそかにその醜者なるを言う。

あるひとがやってきて、そっと「お姿が、おみにくくござられてのう・・・」とささやいた。

なんと。ブスであったのか。

すると、師房は言った。

夫婦者暫時之偶合、善悪不足累心。

夫婦なるものは暫時の偶合、善悪は心を累するに足らず。

「夫婦というのはしばらくの間、たまたま一緒になっているだけの存在ですから、いいとか悪いとかは考える必要はないのですよ。くっくっく・・・」

クールだ。冷えきってるぜ。

その怜悧の故であったか、「頼通に男児が無ければ、師房に摂関を継がせよ」とまでその才を道長さまに愛され、後、白河天皇の承暦元年(1077)、太政大臣にまでお昇りつめになられたのである(実際には同日付で出家、死去)。

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「皇朝蒙求」巻下より。院政期から鎌倉期に、有識故実(と陰謀力)で、摂関家と持ちつ持たれつ繁栄した土御門家の祖です。

久しぶりで日本国の話題でした。なお、「ぶす」呼ばわりされている藤原尊子さまですが、実際にはちょうどいい手ごろのダンナ候補がおられず、しかも師房を身内にしたい道長さまのご意志によるものなので、史実がおぶすであられたかどうかはわからないのでございます。少なくとも、多くの子どもに恵まれ、皇后やそれに類する地位になられた他の姉妹と違って夫が長生きし、晩年には俊房・顕房という息子二人が左大臣と右大臣になるという栄誉を目にしながら亡くなった、ということなのでございます。

 

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