新年(旧暦)でおめでちゅう。この間は白ネズミが挨拶したのであった。
寒いが、歳も替わったし、氷雨の中を出奔。
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清の康煕十八年(1679)、清が南チャイナに封じた漢人三諸侯(いわゆる三藩)が呉三桂を中心に反乱を起こしました。
その鎮圧のために、
調兵四出、有卒過横渓、宿関帝廟。
調兵四出し、卒の横渓を過ぎて関帝廟に宿する有り。
多くの地から兵を南方に出させたのだが、ある部隊の兵士らが行軍途中に、蘇州の横渓にある関帝廟に宿営した。
兵士らが寝ようとすると、天井に何やら文字が書いてある。
灯りを寄せて読むに、二篇の五言絶句であった。
昔為典兵使、 昔、典兵使たり、
今反在兵列。 今、反って兵の列に在り。
十載従軍行、 十載の従軍行、
太阿混凡鉄。 はなはだ凡鉄に阿混せり。
むかしは兵を率いていたものだが、
今では率いられる兵士の一人でござる。
この十年の兵隊暮らしで、
くず鉄どもに、たいへん馴染み、混ざってしまったなあ。
このひとは、明末清初の混乱期に、群雄の一人にでも仕えていたものであろうか。チャイナでは良鉄は釘にならず、良人は兵にならず、といい、兵士のことを「凡鉄」(くず鉄)といいます。
四海男児志、 四海、男児の志、
沙場得得行、 沙場に行くを得るを得たり。
深閨今夜月、 深閨の今夜の月、
同此照凄清。 同じくこれ、照らすこと凄清。
世界に出かけようという男児の志を持ち、
おれはかつて西域の砂漠を征する機会を得た。
・・・今夜、女房と一緒に月を見る。
あのころと同様に、月は寒々と照らしているぜ。
これを読んで兵士らは涙したという。
此人亦奇士也。
この人また奇士ならん。
この詩を書いたひとは、やはりひとかどの人物であったのであろう。
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「履園叢話」巻一・旧聞篇より。SARSのこと思い出すなあ。