まずは挨拶するのデブ―。ネズは描きやすいので重宝するのう。ここでは長老格のわしに従うのデブぞ。
今日から会社だとか言って、コドモなのに会社に行かされるとは・・・。
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南北朝の時代に、顧思遠というひとがいたそうなんですが、
在部伍中、年一百十二歳。
部伍中に在り、年一百十二歳なり。
役所の下働きをする部隊の中にいて、すでに百十二歳であった。
ええー、そんな年なのにハタらいていたんですか。
凡七娶、有子十二、死亡略尽、惟存一小者、年已六十、又無孫息、家貧乏養、是以行役。
およそ七たび娶り、子十二有るも死亡してほぼ尽き、ただ一小者の年すでに六十なるを存するのみなるも、また孫息なく、家貧しく養いに乏しく、ここを以て行役せり。
全部で七回ケッコンし、十二人の男の子がいたそうだがほぼ死んでしまい、一番下の子が生き残っているだけであった。この子ももう六十歳になるが、彼にも子も孫も無く、家は貧しくて年寄りを食べさせることもできないので、はたらきに出ていたのである。
このひとは結局、百十二歳で亡くなりました。
年長多男、人所誇羨、顧何如耶。
年長じ男多きは人の誇羨するところなれども、顧みて何如ぞや。
寿命が長くて息子がたくさんいるのは、人の自慢するところであり、羨ましがるところであるが、この人のことを考えれば本当にそうなのであろうか。
また、同じころ永嘉の王氏の家では
生七子、七子生二十八子、二十八子生九十四子、九十四子生二百六子、二百六子生三百五十五子、三百五十五子生四百九十子、凡七代。
七子を生じ、七子は二十八子を生じ、二十八子は九十四子を生じ、九十四子は二百六子を生じ、二百六子は三百五十五子を生じ、三百五十五子は四百九十子を生じて、およそ七代なり。
七人の男の子がいたが、この七人に二十八人の男の子が生まれ、この二十八人に九十四人の男の子が生まれ、九十四人に二百六人、二百六人に三百五十五人、三百五十五人に四百九十人が生まれた。ここまで(七人の男の子を生んだひとを含め)七世代である。
男の子の数ですから、少なくとも四百九十世帯があったわけです。王氏はこの世帯が共同でいろんな産業を営み、基本財産を共有して暮らしていた。
もちろん、みんなが納得して生きていたわけでもないし、もめごともたくさんあった。そんなもの解決しきれるわけがない。
そこで、
不痴不聾、不堪作家翁。
痴ならず聾ならざれば、家翁と作(な)るに堪えず。
「ボケもせず耳も遠くならないならば、一族の長老たることはムリである」
と言われたのである。
子どもがどんどん増えるからといってシアワセなわけではないのだ。
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「茶余客話」巻二十より。前者は「南史」、後者は「隋書」に出ることなんだそうでちゅ。明日も出勤のため原文に当たっているヒマが無いのがツラいところ。
ゲンダイは少子化の時代とはいえ、おいら臀冷童子のようなコドモにハタラかせるとはなにごとか! と言いたくもなってまいりまちゅよ。もう絶対明日は更新しませんよー。