「うまそうなやつでにゃーん」「ちゅうううう!」無常の世の中である。干支になっても明日知れぬ運命なのだ。読書したりHP一生懸命更新したりしてもムダなので止めようかなあ。世俗のシゴトなどもってのほかであろう。
臀冷童子が出奔しましたので、もう肝冷族はおりません。わしは、肝冷斎が空き家となって不用心なので様子を見に来た近所の出家・肝念和尚じゃ。
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今日は肝冷斎を観に来ましたが、昨日は川のほとりに行ってきた。
ここには伐採が進んでいる林があります。
昨見河辺樹、 昨(きのう)河辺の樹を見るに、
摧残不可論。 摧残せられて論ずべからず。
昨日、川のほとりに行って、林の木々を見てきたが、
切り払われてなんとも言えない様子になっていたんじゃ。
ニ三余幹在、 ニ三の余幹在るも、
千万斧刀痕。 千万の斧刀の痕あり。
ほんの数本、まだ残っている木があったが、
それにも数知れぬ斧やナイフの傷がついておったのう。
それら人間による破壊だけではない。
霜凋萎疎葉、 霜は萎疎の葉を凋ませ、
波衝枯朽根。 波は枯朽の根を衝けり。
霜がすでにしわみ、まばらになっている木の葉をさらに凋ませ、
波がもう枯れて腐りかけた木の根を洗って、さらに砕いているのである。
たいへんですなあ。
さて、ここで、河辺を「町なか」、樹を「知合いのやつ」と読み替えてみてください。
―――昨日久しぶりで庵を出て町中に出かけたところ、知っている人は死んだり弱ってしまったりして、なんとも言えない状態になっていた。ほんの数人、まだ生きているひとがいたけれど、みな人生に疲れて大きなもの小さなもの、いろんな傷を抱え込んでいるのだ。それだけでなく、頭の上から落ちて来る苦悩、あしもとを崩す悲劇、それらが彼らを攻め立てているのである。
ああ。
生処当如此、 生処はまさにかくの如し、
何用怨乾坤。 何ぞ用いん、乾坤を怨むるを。
生きていく場―――現世というものは、まさにこのような苦悩の世界ではないか。
どうして、天や地に不満や怨みを訴える意味があろうか。
まったくですなあ。
ところが、その中で、さらに本を読んで勉強とかしているひともいるんじゃ。
読書豈免死、 書を読むもあに死を免れんや。
読書豈免貧、 書を読むもあに貧を免れんや。
本を読んだら、そしたら死ななくなるんですか。
本を読んだら、そしたら貧乏でなくなるんですか。
鹿島茂さんの古書集め借金のことなどを考えると涙が出てきます。
それなのに、
何以好識字。 何を以て字を識るを好む。
識字勝佗人。 字を識らば佗人(たにん)に勝らんか。
丈夫不識字、 丈夫、字を識らざれば、
無処可安身。 身を安んずべきの処無からんか。
どうして文字を覚えようとしたがるのか。
(おそらく)字を覚えれば、字を知らないやつより優位に立てる、と思っているのだろうか。
大人が字を知らないと、
身を落ち着ける場所も無い、と思っているのだろうか。
読書などということは、
黄連搵蒜醤、 黄連(おうれん)、蒜醤(さんしょう)に搵(ひた)し、
忘計是苦辛。 計るを忘れたり、これ苦辛なるを。
「黄連」(おうれん)は支連、王連ともいう薬草で、目薬にもなるそうですが、苦くてぴりりと辛いものらしいです。「蒜醤」(さんしょう)は「蒜」(にんにく)の塩漬け汁。
黄連草をにんにく漬けにするようなものじゃ。
辛いものをさらに辛い汁に漬けている、ということを忘れてそんなことをしてしまう。
この苦悩の人生に、さらに文字を知って、人生を苦しいものにするとはのう。
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「寒山集」より。勉強する必要などなかったんじゃのう。もう明日から読書もHP更新もしなくていいんだー。
参考までに、これよりさらに三百年ぐらいあとに宋の蘇東坡先生がこんな有名な句を詠んでいます。
人生識字憂患始、 人生字を識るは憂患の始めなり、
姓名麤記可以休。 姓名麤記(そき)すれば以て休(や)むべし。
人として生まれて、文字を識り学問をすることは、憂い苦しみの始まりじゃ。
自分の苗字と名前だけ、だいたい書ければ、そこで止めておくべきだった・・・。(「石蒼舒酔墨堂」(石蒼舒の酔墨堂のために)(「蘇軾詩集合注」巻六))
知識人の苦悩を表現するのによく使われるんで、「さすがは東坡せんせい、全共闘的!」と思って、この句ではじまる七言十六句を読み通してみると、実は東坡先生は「字を識る」といっても字を書く「書道」のことを言っていて、「石蒼舒先生は草書の名人で、こんな苦しいことが好きだったのですなあ、いや、自分も草書が好きでしてなあ」と言い出して、最後は「この中にこそ至楽がありますなあ」とまとめて、知識人であることに満足している、というオチの詩なんです。読み終わると「なんなんだよー、やっぱり勉強せんといかんのかー」と騙された気分になるのじゃ。全共闘的ではないんです。
外は春の嵐のように荒れておりますが、この老僧が、明日出勤か・・・。