令和元年12月12日(木)  目次へ  前回に戻る

「ヤラれるぐらいなら先にやってやるでコケ!」と威張るニワトリだ。ああ、おいらにもこれぐらい強いココロがあったらなあ・・・。

肝冷斎は隠棲していますが、一族の肝細齋はめいじられるままに会社に出勤してました。やっぱり仕事はムリや。プレッシャーでキモチ悪くなってきます。

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茅容、字・季偉は、後漢・陳留のひとである。

年四十余耕於野時、与等輩避雨樹下。衆皆夷踞相対、容独危坐愈恭。

年四十余、野に耕せる時、等輩と雨を樹下に避く。衆みな夷踞して相対するに、容のみひとり危坐していよいよ恭し。

もう四十何歳のころであるが、農夫として田野で耕作に従事していた時、雨が降ってきたので仲間たちと一緒に大樹の下に雨宿りした。他の仲間たちはみんなあぐらをかいて向かい合って座っていたが、茅容だけはひとり正座して、(ほかのやつらがくだけているのに)目だって恭しい様子が見えた。

同じ木の下で、郭太、字・林宗というひと雨宿りしていて、茅容の姿を見て、

「おまえさん、隣に座ってもいいか」

と声をかけた。

郭太は国家に仕えたことはなかったが、人材を見抜く能力を持つと言われていた人物である。

郭太がいろいろ話しかけてみると、茅容は田舎者らしい朴訥さで、ぼそぼそと答える。

遂与共言、因請寓宿。

遂にともに言い、因りて寓宿を請う。

二言三言話しているうちに、郭太の方から「今晩おまえさんの家に泊めてくれんか」と頼んでみた。

茅容は頷いた。

かくして一晩泊めてもらったのですが、

旦日容殺雞為鐉、林宗謂為己設。

旦日、容、雞を殺して鐉を為し、林宗謂為(おもえ)らく、おのれのために設くるならん、と。

朝になると、茅容は家のニワトリを一羽つぶして、料理を始めた。林宗はそれを垣間見て、「客人のわしのために料理してくれるのじゃな」と思った。

決して豊かそうではないが、気前のいい男ではないか。

ところが、

既而以共其母、自以草蔬与客同飯。

既にして以てその母に共し、自らは草蔬を以て客と同飯す。

結局のところ、そのニワトリは彼の母親のための料理に使われた。そして自分は、粗末な野菜料理で客人の林宗と一緒にメシを食ったのであった。

「ああ」

林宗起拝之曰、卿賢乎哉。因勧令学卒以成徳。

林宗起ちてこれを拝して曰く、「卿は賢なるかな」と。因りて勧めて学ばしめ、ついに成徳を以てす。

郭林宗は立ち上がって茅容にお辞儀をして、言った。

「あなたは賢者であられる」

そして、学問をするように勧め、ついには徳のある人として評判になった。

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孟敏、字・叔達、鋸鹿楊氏(地名。河南である)のひとである。

客居太原、荷甑堕地。

太原に客居し、甑(こしき)を荷いて地に堕とす。

山西の太原に滞在していた。ある時、(煮炊き用の)コシキを背負っていたのだが、これを地面に落としてしまった。

がしゃん。

陶器のコシキは音を立てて壊れてしまった。

ところが、孟敏は

不顧而去。

顧みずして去る。

振り向きもせずに行ってしまった。

これを、ちょうど郭林宗が見ていた。

林宗は追いかけて行って、

「おまえさん、生活に大切なコシキなのではないか。振り向きもしないのはなぜか」

と問うたところ、

対曰、甑已破矣。視之何益。

対して曰く、甑すでに破れたり。これを視るも何の益かあらん、と。

答えて言うに、

「コシキはもう壊れてしまいました。振り向いてみたところで何にもなりませんから」

と。

「ああ」

林宗以此異之、因勧令遊学十年、知名三公。

林宗これを以てこれを異とし、因りて勧めて遊学せしむること十年、名を三公に知らる。

郭林宗はこれによって「こやつは大したやつじゃ」と認め、遊学するように勧めたところ、十年後には、その名を大臣たちにも知られるようになった。

のであった。

ただし、

倶辟並不屈云。

ともに辟(まね)かるるも並びに屈せずと云う。

茅容も孟敏も、ともに官職に就くよう招聘されたが、二人とも圧力に屈せずに仕官しなかった、ということだ。

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「後漢書」巻九十八・郭太等列伝より。仕官しなかったのでプレッシャーに潰されることも無かったのでしょう。賢者だなあ。

この調子では明日からまた行方知れずになりそうなので、今日は二日分ぐらいご紹介してみました。またすごい深夜になってきた。寒いし、明日の朝は出勤だし、なんとオロカなことであろうか。

なお、どちらも有名なお話なんですが、特に前半の茅容のニワトリ殺しのエピソードは、朱晦庵「小学」巻六「善行」に採られて極めて有名です。

―――晦庵先生、どこが「善行」なんですか?

実敬身。

身を敬(つつ)しむを実にす。

―――生活態度を恭しく謹しむ、ということのすばらしい実例ではないか。

なんだそうです。

 

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