この季節には、雪だるま式に太ってしまう雪だるまんだ。「わーい、巨大大福でだるまー」
「いただきだるまー」 さて、どうなるでしょうか。答えは↓
やっと金曜日である。昨日からS岡に行ってたんです。おでん食った。それだけで肥った。怪しからん。
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海不辞水、故能成其大。
海は水を辞せず、故によくその大を成す。
海は水が流れてくるのを辞退しないから、あんなふうにでかくなったのである。
また、
山不辞土、故能成其高。
山は土を辞せず、故によくその高きを成す。
山は土がのっかってくるのを辞退しないから、あんなふうに高くなったのである。
そして、
明主不厭人、故能成其衆。
明主は人を厭わず、ゆえによくその衆を成す。
すぐれた君主は人が集まって来るのを厭わないから、あんなふうに人材が多いのである。
であるから、
士不厭学、故能成其聖。
士は学を厭わず、故によくその聖を成す。
道に志す者が学ぶことを厭わなければ、やがて聖人賢者ともなるであろう。
いいコトバだなあ。
ここで終わっていてもいいのに、このあとに続きがあります。「なんでも受け容れろ」という趣旨なのでしょう。
「此」の下に「食」を書いて「シ」と読む字があります。打ち出せないので、以下「此」と表記しますが、「食べるのをいやがる」「好き嫌いをして食べない」という意味です。
此者多所悪也。諫者所以安主也。
此(シ)なるものは多く悪(にく)むところあり。諫なるものは主を安んずる所以なり。
好き嫌いをすると、たくさん嫌いなものができるものだ。(何の関係もないような話ですが)諫言というのは(うるさくてイヤになりますが、)それ(を聞くこと)によって君主の地位を安定させるものである。
食者所以肥体也。主悪諫、則不安。
食(シ)なるものは体を肥やす所以なり。主、諫を悪(にく)めばすなわち安んぜず。
「食」を「シ」と読むときは、「食べる」という動詞ではなくて「食べる対象」「食べ物」のことです。
食糧というのは、それによって体を肥満させるものである。(何の関係もないような話ですが)君主が諫言(を聞くの)をいやがると、その地位は不安定化するものである。
故曰人此食則不肥也。
故に曰く、人、食(し)を此(し)すれば肥えざるなり。
それで、食べ物を好き嫌いするようでは肥りませんよ、とよく言われるのである。
それはそうでしょう。
さて、「諫言」の方については、結論が書いてありません。みなさんで考えてみてください。
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「管子」形勢解第六十四より。なんでも受け容れるので肥ってしまうのでそれは反省すべきなのだが、たった一日でなんでこんなに体重増えるのか、という点が解せぬ。一日だけ勉強したところでちっとも聖人にはならないというのに、食べる方だけなぜだ。
「これはなんでぶかな?」
「巨大大福を完食してさらに巨大化した雪だるまんだるまー!」