札幌は初雪降って寒かったであるのでぶー。
東京は暖かいなあ。北海道は寒かったなあ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
北海則有走馬吠犬焉。然而中国得而畜使之。
北海にはすなわち走馬・吠犬有り。しかして中国得てこれを畜使す。
北のはての海のあたりには、足の速いウマとかよく吠えて狩りに役立つイヌが棲息する。そして、中原の国では、それを入手して飼って利用している。
この「北海」は「北海道」のことでありません。モンゴルのかなた、シベリアなんかの方をイメージして、古代人が考えていた地域です。
南海則有羽翮歯革曾青丹干焉。然而中国得而財之。
南海にはすなわち羽翮(うかく)、歯・革、曾青、丹干有り。しかして中国得てこれを財とす。
南のはての海のあたりには、鳥の羽・大鳥の羽、象の牙・サイの皮、銅や赤い玉が産出される。そして、中原の国では、それを入手して財宝にしている。
東海則有紫絺魚塩焉。然而中国得而衣食之。
東海にはすなわち紫絺(しち)、魚塩有り。しかして中国得てこれを衣食す。
東のはての海のあたりには、紫染めの植物繊維や塩漬けの魚が生産される。そして、中原の国では、それを入手して着たり食べたりしている。
西海則有皮革文旄焉。然而中国得而用之。
西海にはすなわち皮革・文旄有り。しかして中国得てこれを用う。
西のはての海のあたりには、各種のケモノの皮や色とりどりの模様のついた水牛の尾が採れる。そして、中原の国では、それを入手して工芸品に利用している。
あちこちの辺境から、その地勢気候に応じた生産物を入手しているんです。
このように、世界経済は役割分担をしているのだ。
中原においても、同様に、ひとびとの間で分業がなされている。
故沢人足乎木、山人足乎魚、農夫不斵削不陶冶而足械用、工賈不耕田而足菽粟。
故に沢人は木に足り、山人は魚に足り、農夫は斵削(たくさく)せす陶冶せずして械用に足り、工賈は耕田せずして菽粟に足る。
そのおかげで、川湖の猟師も十分に木材があり、山中の樵人も十分に魚類を食い、農民は切ったり削ったり陶器を作ったりしなくても十分に用具や日用品を保有し、職人や商人は田を耕さなくても十分にマメやアワを食べることができるわけである。
さらに、
故虎豹為猛矣、然君子剥而用之。
故に虎豹は猛なれども、しかるに君子剥ぎてこれを用う。
おかげでトラやヒョウは危険な猛獣であるが(猟師がいるので)貴族の方々はその皮を剥いで敷物にしたりできるわけだ。
故天之所覆、地之所載、莫不尽其美致其用、上以飾賢良、下以養百姓、而安楽之。
故に天の覆うところ、地の載するところ、その美を尽くしその用を致さざるなく、上は以て賢良を飾り、下は以て百姓を養い、これを安楽にす。
こうして、天の覆う下、地の載せる上、すなわち世界中、それぞれの得意とする産物をすべて使用しきらないものなく、それらは上はエリートの賢者たちを飾り、下は人民どもを養い、安らかで楽しく暮らさせるのである。
ああ、
夫是之謂大神。
それ、これを大神と謂う。
そうだ、このような働きこそ、大いなる神秘というべきであろう。
「神の見えざる手」みたいなもんでしょう。
「詩経」周頌・天作篇に曰く、
天作高山、 天、高山を作(な)して
大王荒之。 大王これを荒(おさ)む。
彼作矣、 彼作(な)せり、
文王康之。 文王これを康んず。
彼岨矣岐、 かの岨(けわ)しき岐も、
有夷之行、 これを夷(たい)らぎて行(みち)有り、
子孫保之。 子孫これを保てり。
天が高い山(岐山)を造ったのじゃ。
周の大王はこの地に移って開墾したのじゃ。
そうして開かれて、
(孫の)文王がそこにひとびとを安んじたのじゃ。
こうして険しい岐山にも、
平易な道が作られて、
子々孫々までその地は保たれているのじゃ。
いろんな土地から周の徳を慕ってきたひとびとを安んじ、あちこちに通じる平易な道が出来て交易ができるようになったことを歌っているのである。
此之謂也。
これ、この謂いなり。
これこそ、この「見えざる手」(みたいなやつ)のことをいっているのじゃ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「荀子」王制篇第九より。経済学である。ダイバーシティがどうたらしてジェンダーを強制しない家事の分担などによって、さらに栄えていくことになるのであろう。知らんけど。