「おさるよ、いい種があるのでカニ。何か交換できるものがあるなら譲るぜ」「うきき」サルはまだ交換経済が成り立っていないのだ。
わしは毎日↓のようなタメになる学問を勉強しています。みなさんも、勉強しなはれや。
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春秋・斉の桓公が言った。
四郊之民貧、商賈之民富。寡人欲殺商賈之民、以益四郊之民。為之奈何。
四郊の民貧しく、商賈の民富めり。寡人、商賈の民を殺(さい)して以て四郊の民を益せんと欲す。これを為すに奈何(いか)にせん。
「都の城外の人民は貧乏である一方、都の商人たちは富裕である。わしは、商人たちを抑圧し、それによって城外の人民たちに利益を与えたいと思うのじゃが、そうするにはどうすればよかろうか」
宰相の管仲が申し上げました。
決濩洛之水、通之杭荘之間。
濩洛の水を決し、これを杭荘の間に通じよ。
「都の近くを流れる濩洛(かくらく)川の堤防を切って、その水を杭・荘の村の方に流してしまえばよろしい」
「そうか」
というわけで、桓公は臣下に命じて濩洛水の堤防を切り、水を杭・荘の村の方に流した。
こうして一年経った。
すると、城外の人民は豊かになり、都内の商人たちは貧しくなった。
「うーん」
思い通りになったのだが、何やら腑に落ちない。桓公は管仲を呼んで、
此其故何也。
これ、その故は何ぞや。
「管仲よ、確かにわしの思いどおりになったのだが、これは一体何故なのか」
エビデンスに基づく説明を求めたのである。
管仲は言った、
決濩洛之水、通之杭荘之間、則屠酤之汁肥流水。則蚊虻巨雄、翡燕小鳥、皆帰之、宜昏飲。此水上之楽也。
濩洛の水を決し、これを杭・荘の間に通ずれば、すなわち屠酤(とこ)の汁肥、水に流る。すなわち蚊虻巨雄により、翡燕小鳥みなこれに帰して、昏飲するに宜(よろ)し。これ水上の楽なり。
「濩洛川の堤防を切って水を杭・荘の村の方に流しましたので、肉屋(「屠」)や酒屋(「酤」)の肥沃な洗い水や絞り粕が、水に流れていくことになりました。その養分を吸って、蚊や虻のどでかいのが棲息し、これにカワセミやツバメなどの小鳥が集まって来ましたので、夕方、これを観ながら宴会をするのによくなったのです。彼らは、水のほとりで楽しむようになりました。
賈人蓄物、而売為售、買為取、市未央畢、委舎其守列、新冠五尺、挟弾懐丸、游水上、弾翡燕小鳥、被于暮。
賈人は物を蓄えて売りて售るを為し、買いて取るを為すに、市いまだ央ならずして畢(おわ)り、新冠五尺なる、弾を挟み丸を懐きて水上に游び、翡燕小鳥を弾きて暮れに被(およ)べり。
商人たちは物を確保しておいて、それを売り払ったり買い取ったりするわけですが、彼らは市場がまだ真昼間だというのに店じまいをして、新調した高さ五尺(1メートル)もあるかっこいい流行りの冠をかぶって、玉弾きの機械(いわゆるパチンコ)を腕に挟み、弾丸を懐ろにして、水のほとりにやってきて、夕方までかけてカワセミやツバメなどの小鳥を捕って遊ぶようになったのです。
このために、
賤売而貴買。四郊之民買賤、何為不富哉。商賈之人、何為不貧哉。
賤売して貴買し、四郊の民に賤を買えば、何すれぞ富まざらんや。商賈の人、何すれぞ貧しからざらんや。
商人たちは値が高くなくても早めに売り、安くならなくても早めに買うようになりました。城外の人民たちは物が安く買えるわけですから、どうして富裕にならないことがございましょうか。そして商人たちはどうして貧しくならないでいられましょうか」
働き方改革です。商賈の民は生活の豊かさを選んだのである。
「なるほどのう」
桓公は感心して頷かれた。
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桓公が言った、
五衢之民、衰然冬衣弊、而屩穿。寡人欲使帛布糸@之賈賤。為之有道乎。
五衢(ごく)の民、衰然として冬衣弊(やぶ)れ、屩(く)穿てり。寡人、帛・布・糸・@の賈をして賤ならしめんと欲す。これを為すに道有りや。
「街道筋の人民たちは、かわいそうに冬になっても服は破れ、履き物には穴が開いておる。わしは、絹や布や糸や綿の値段を低下させてやりたいと思う。そうするには方法はあるであろうか」
管仲が言いました、
沐途旁之樹枝、使無尺寸之陰。
途旁の樹枝を沐(あら)い、尺寸の陰を無からしめよ。
「道ばたの木々の枝を払ってしまって、まったく木陰を無くしてしまうことですな」
「そうか」
というわけで、桓公は道ばたの木々の枝を払わせ、木陰を無くしてしまった。
こうして一年経った。
すると、街道筋の人民はみな絹の服を着、暖かい履き物を履くようになった。
「うーん」
思い通りになったのだが、何やら腑に落ちない。桓公は管仲を呼んで、
此其故何也。
これ、その故は何ぞや。
「管仲よ、確かにわしの思いどおりになったのだが、これは一体何故なのか」
またまた説明を求めたのである。
管仲は言った、
途旁之樹未沐之時、五衢之民、男女相好、往来之市者、罷市相睹樹下、談語終日不帰。
途旁の樹、いまだ沐わざるの時は、五衢の民は男女相好(よ)みし、往来して市に之(ゆ)く者、市を罷めて樹下に相睹て、談語すること終日にして帰らざるなり。
「道ばたの木の枝を払わなかったころは、街道筋の人民は男と女が互いに気に入ると、街道を往来して市場に行こうとしていた者も、市場に行くのをやめて木陰で見つめ合い、おしゃべりを一日中続けて、帰ろうともしなかったはずでございます。
また、そのころは、
男女当壮、扶輦推輿相睹樹下、戯笑超距終日不帰。父兄相睹樹下、論議玄語、終日不帰。
男女壮に当たるや、輦を扶け輿を推して樹下に相睹て、戯笑して距を超えて終日帰らざるなり。父兄樹下に相睹れば、論議玄語して、終日帰らざるなり。
オトコとオンナがいい年ごろになると、手押し車や駕籠に乗って木陰に集まり、ふざけあって談笑し、隔てを乗り越えて、一日帰らなかったはずでございます。そして、おやじやじじいも木陰でお互い会えば、難しい話や哲学の話などしあって、やはり一日中帰らなかったのでございます。
おやじやじじいはサボってないで帰れよ、と思いますが、しようがございません。
是以田不発、五穀不播、麻桑不種、繭縷不治。内厳一家、而三不帰、則帛布糸@之賈、安得不貴。
これを以て田発せず、五穀播かれず、麻桑種えられず、繭縷治めず。内に一家を厳にするも三の帰らざるあれば、すなわち帛布糸@の賈、いずくんぞ貴からざるを得んや。
こんなことですから、田んぼの代掻きはなされず、穀物の種は播かれず、麻や桑は植えられず、カイコの繭の糸口を見つけて紡ぐことは誰もしなかったのです。家の中でいかに厳しく管理しようとしても、こんな三種類の家に帰ってこないやつらがいた(おやじとかじじいは管理する側なのに怪しからん)のですから、絹や布や糸や綿の値段が、どうして高値でないことができましょうか(必ず高値になっていたのです)。
木の枝を払ったので、みんなハタラクようになって、供給が需要に追いついたわけなのでございます」
こちらは供給サイドに着目した経済理論で、働き方改革に反しているような気がするぞ。
「なあるほどのう」
桓公は感心して頷かれた。
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「管子」軽重丁第八十三より。篇名は「軽重」というのは「経済」のことで、「経済学シリーズ」の甲乙平丁の第四章、という意味です。
働き方改革を進めるにはでかい蚊や虻を棲息させ、改革を止めるには街路樹を切ってしまえばいいのである。経済学は勉強になるなあ。少子化にはなりそうですが。