何かうまそうなものが醸されたという。「いただきにいくでコケ―!」「ぴよ」「ぴよ」「ぴよる」と急ぐニワトリたちであった。
昨日「甜郷、酔郷、温柔郷」の三つの「夢の国」について触れました。その中で一番いいのは「甜郷」というのが昨日のお話でしたが、それ以外の「郷」についても何か話しておこうかなー、しかしR18も読むこのHPで「温柔郷」の話をするわけにもいかんからな、ぐふふ・・・ということで、「酔郷」関係の話でもしますかのう。
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後漢末の名将・皇甫嵩の作という「酔郷日月」という文章に、
凡酒以色清味重而甜者為聖。色濁如金而味醇且苦者為賢。色黒而酸醨者為愚。
およそ酒の色清み味重くして甜(あま)きものを以て「聖」と為す。色濁りて金の如くして味醇にかつ苦きものは「賢」と為す。色黒くして酸醨なるものは「愚」と為す。
お酒一般の中で、見た目が清んでいて味がしっかりとし甘みを感じるものを「聖」と呼ぶ。見た目が濁っていて金のように黄色く、味は濃い口で苦いものを「賢」と呼ぶ。見た目がどす黒くて、酸っぱく、うすいものを「愚」と呼ぶのである。
「醨」(り)は、酒がすにさらに水を加えた「二番絞り」の「うすい酒汁」のことです。
また、
以家醪糯觴酔人者為君子、以家醪黍觴酔人者為中庸、以家醪麦觴酔人者為小人。
家にて糯を醪して以て人を觴酔するものは「君子」たり、家に黍を醪して以て人を觴酔するものは「中庸」たり、家に麦を醪して以て人を觴酔するものは「小人」たり。
自分の家でモチ米を醸して作って(相当のアルコール分を持つため)さかずきで飲むと人を酩酊させるものを「君子(立派な方)」と呼び、自分の家でキビを醸して作ってさかずきで飲むと人を酩酊させるものを「中庸(中ぐらいの)」と呼び、自分の家でムギを醸して作ってさかずきで飲むと人を酩酊させるものを「小人(ダメ人間)」と呼ぶ。
と書いてあるのであるが、果たしてこんな時代にこんな詳細な分類がなされていたものであろうか。
この皇甫嵩の文章、実際はもう少し後の時代のものではないかと思われ、それが参考にしたのは、おそらく(後漢より後の)魏の時代の「瘦語」(隠語)に、
清者為聖、濁者為賢。
清なるものは聖なり、濁なるものは賢なり。
(酒の)清んだものを「聖人」、濁ったものを「賢者」という。
とあるものではなかろうか(「三国志」魏志・徐邈列伝)。これは曹操さまがお酒を禁止したので、魏の文人たちは「酒」を「聖」「賢」と言い換えて飲んだのだそうなんです。
この記述から「清聖濁賢」という四字熟語が作られ、唐の李白がこれを典拠にかっこいいお酒のうたを作ったので、チャイナのひとはみんなお酒は「清聖濁賢」と分類している、とみなさんは思っているのではないでしょうか。
けれどもなんだか疑問が湧いてきませんか。
僕常評之、酒之清者為聖可也。濁者為賢何哉。当為愚頑。
僕、常にこれを評して、酒の清めるものは「聖」と為すは可なり。濁れるものは「賢」と為すは何ぞや。まさに「愚頑」と為すべし。
わしはいつもこんなふうに言っております。
「清んだ酒を「聖人」のようだ、というのはまあそれでよろしいが、濁ったやつを「賢者」というのはどういうことか。これは、「愚か者」とするべきであろう」
と。
すると、後漢や魏の時代よりもさらに以前の前漢の文人・鄒陽の賦に
清者為酒、濁者為醨。清者聖明、濁者頑騃。
清なるものは酒と為し、濁なるものは醨(り)と為す。清なるものは聖明にして、濁なるものは頑騃なり。
「騃」(がい)は「おろかな」。
清んだやつは「酒」であるが、濁ったやつは「酒汁」である。清んだやつはすっきり明るい感じだが、濁ったやつはかたくなでオロカというべきだ。
とあるのを見つけた。
わーい。
魏人瘦語与夫酔郷日月其説有疵。不若鄒陽之語為善也。
魏人の瘦語とかの「酔郷日月」と、その説疵有り。鄒陽の語の善なるに若かざるなり。
魏の時代の「隠語」と、皇甫嵩作という「酔郷日月」と、これらのいうことには合点がいかず、その前の鄒陽さまのコトバのしっくりくるのにかなわない。
というべきであろう。
なお、同時代の書である魏・魚豢(ぎょかん)「魏略」(の逸文)を閲したら、
以白酒為賢。
白酒を以て「賢」と為す。
(清んではいないが)白い色の酒を「賢者」と言った。
と書いてあった。濁っていても白い、それなら納得いく(ような気がする)のである。
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宋・王楙「野客叢書」より。こういうほとんど何の役にも立たないような気がする下らん「考証」はオモシロいですよね。睡眠時間削って読む価値はある。