令和元年10月29日(火)  目次へ  前回に戻る

冬になってきたので冬眠しなければなりません。安らかに眠れるといいなあ。

風邪をひいたみたいなんで早く寝ないといけませんぞ。

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名君の誉れ高い漢の文帝さま(在位前180〜前157)に仕えた張釈之のことについて述べます。

文帝は愛人の慎夫人を連れ、群臣とともにご先祖の墓地・覇陵の地に巡幸したときのこと、帝は夫人に瑟(おおごと)を弾かせて、それに合わせて自ら歌われた。

意惨凄悲懐。

意、惨凄にして悲しみ懐(おも)えり。

その歌の心は、すさまじく寂しく、悲しいものであった。

その歌に曰く、

嗟乎。以北山石為槨、用紵絮斮陳、蕠漆其フ、豈可動哉。

嗟乎(ああ)。北山の石を以て槨と為し、紵絮を用いて斮陳し、その間に蕠漆せば、あに動かすべけんや。

おお。

その時が来たならば―――

北山の巨大な石で棺の外槨を作ろう。糸とわたを切り、伸ばし、外槨と棺の間にびっしりと詰めてしまおう。そうすれば、わが永久の眠りを、誰が揺り動かすことができようか。(安らかに眠れるであろう。)

死を悲しむ歌だったのです。

左右皆曰善。

左右みな曰く、善し、と。

近臣たちはみな言った。「すばらしうございます」と。

しかし文帝は何やら釈然とせぬようすであった。

そのとき、釈之ひとり、進み出て言った。

使其中有可欲者、雖錮南山、猶有郄。使其中無可欲者、雖無石槨、又何戚焉。

その中に欲すべきもの有らしむれば、南山をもて錮すといえどもなお郄(げき)有らん。その中に欲すべきもの無からしむれば、石槨無しといえどもまた何をか戚(うれ)えん。

「その(棺の)中に、ひとびとが欲しがる宝物をともに葬れば、たとえ南山をまるごと使って押し隠したとしてもなお隙間があって忍び込まれましょう。その中に、ひとびとが欲しがるものを一つも葬らなければ、たとえ石の外槨など無くとも、何の心配がありましょうか」

これも歌のようになっていますが、薄葬を勧めたのです。

それを聞いて、文帝は、

称善。

善を称せり。

「よいことばじゃ」

とおほめになられた。

・・・という話を今日したかったのではありません。そうではなくて・・・

これも皇帝が巡幸されたときのことですが、長安郊外の渭橋で、

有一人従橋下走出、乗輿馬驚。

一人有りて、橋下より走りて出で、乗輿の馬驚く。

突然一人のひとが橋の下から走り出て来て、帝の乗った馬車を牽く馬が驚いて棒立ちになった。

すぐにそいつは捕まりました。

釈之がそいつを訊問したところ、長安県の田舎者であった。「避けよ」という警蹕の声を聞いて、畏れて橋下に隠れ、行列が通り過ぎたと思って出てきたところ、まだ通過中であったために驚いて逃げ出した、ということであった。

「これはどういう罪になりますか」

と釈之が廷尉(司法官)に訊くと、即座に応えて曰く、

一人犯蹕、当罰金。

一人の蹕を犯すは罰金に当たる。

「誰かが警蹕の声を聞きながら避けなかった場合、罰金を納めさせることになります」

と。

文帝がそれを聞いて、この帝にしては珍しく色を作して怒って言った、

此人親驚馬。吾馬柔和、令他馬固不敗傷我乎。而廷尉乃当之罰金。

このひと親(みずか)ら馬を驚かす。吾が馬柔和なり、他馬をすれば固(まこと)に我を敗傷せざらんや。しかるに廷尉すなわちこれを罰金に当つ。

「あやつは彼自身が馬をびっくりさせたのだぞ。幸いにわしの馬は穏やかな性質だからそれで済んだが、もしそうでない馬だったら、本当にわしを傷つけることになったかも知れんのだ。それなのに司法官は、それは罰金程度の罪だ、というのか!」

釈之はゆっくりとクビを横に振りますと、申し上げた。

法者天子所与天下公共也。今法如此。而更重之、是法不信於民也。且方其時上使立誅之則已、今既下廷尉。

法なるものは天子の天下と公共するところなり。今、法はかくの如し。しかるにこれを更重せば、これ、法、民に信じられざらん。かつ、その時にあたりて上の立ちどころにこれを誅(ころ)さしめばすなわち已むも、今既に廷尉に下す。

「法というものは天子が、天下万民とともにしているものでございます。いま、法の規定がこうなのです。それなのにそれを変えて重い罰にすれば、法が人民に信用されなくなりましょう。もし事件の起こったときに、陛下がたちどころにあの人を誅殺させていればそれでおしまいでしたが、いまは既に司法官に審理させているのです。

陛下察之。

陛下これを察せよ。

陛下、そこのところをようくお考えくだされ」

もはや陛下の個人のお怒りの問題ではないのでございます。

しばらく沈黙があった。

良久、上曰、廷尉当是也。

やや久しくして、上曰く、廷尉の当、是(ぜ)なり。

少し経ってから、帝は口を開いた。

「司法官の判決は、正しいな」

そしてにこりと微笑まれたのであった。

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「史記」巻百二・張釈之列伝より。かっこいいでちゅねー。ということで、これが「公共」の語の初出のようです。某誌に「公共を作る」を連載中の岡本全勝さんに教えてあげなければ。

ところでこれほどの立派な人物であった張釈之さまですが、そんな方でも文帝が崩御なされた後は、この事件のように苦労したのだそうでございます。宮仕えはキビシイなあ。おいらもどうやら明後日、先週からぶつぶつ言っているシゴトが大爆発して、宮仕えもいよいよ終わりかなー。と感慨深くしている間にまたすごい深夜に・・・。

 

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