ほんとに後進に譲る道を持っていても後進そのものがいないような状況の者も多いが、多くの若手を集めて争っているらしいやつもいるのである。
休みの日だと自分がぶたではなくニンゲンである気がしてくるので不思議でぶー。早く後進に道を譲って毎日休みのニンゲンにならなければなあ。
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漢の文帝のころ、王生(「王なんとかさん」)というひとがいました。もともと処士(国家に仕えないひと)であったのですが、黄老の言を修めていると推薦を受けまして、年をとってから召され、何のシゴトをするでもなく朝廷に参加して、なにがしかの給与をもらっていた。
ある日の朝廷で、大臣や公卿、高級官僚たちがみな居並んで皇帝の御出ましを待って静まっていたとき、この王生が突然、
吾韈解。
吾が韈(べつ)解けたり。
「わしのくつの紐が解けてしまったぞ」
と声を出した。
みな緊張していて、誰も振り向きも答えもしない。
王生は後ろを振り向き、そこに朝廷の静粛や進行を掌る廷尉の張釈之がいるのを認めると、にやりと笑って、
為我結韈。
我がために韈を結べ。
「お若いの、わしのためにくつ紐を結んでくれんかな」
と言った。
釈之跪而結之。
釈之、跪(ひざまず)きてこれを結ぶ。
張釈之は黙って近寄って、ひざまずいて王生のくつの紐を結んでやった。
ひとびとは王生の振舞いを苦々しく思うとともに、張釈之のひとがらに感心したが、押し黙っているうちに、しばらくすると皇帝がお出ましになり、朝議が始まった・・・。
朝議が終わったあと、王生と親しい老臣の一人が王生に言った。
独奈何廷辱張廷尉、使跪結韈。
ひとりいかんぞ廷において張廷尉を辱しめ、跪きて韈を結ばしむ。
「なんであんな場面で、目立つように張廷尉どのを見下して、ひざまずいてくつ紐を結ばせたりしたのじゃ」
すると王生は訊ねた。
「わしはそんなに張廷尉どのを困らせているように見えたかな? そして、張廷尉どのはわしの我がままに耐える度量の広い男に見えたかな?」
「当たり前じゃ。みな、おまえさんの振舞いを苦々しく思うとともに、張どのの人がらに感心しておったぞ」
王生は、にやにやと満面の笑顔で言った。
吾老且賤、自度終無益於張廷尉。張廷尉方今天下名臣。吾故聊辱廷尉、使跪結韈、欲以重之。
吾老いてかつ賤しく、自ら度(はか)るに張廷尉に益無からんと。張廷尉、方今天下の名臣たらん。吾、故にいささか廷尉を辱しめて、跪きて韈を結ばしめ、以てこれを重んぜしむなり。
「わしはもう年じゃし、大した身分でもない。自分で考えてみるに、張廷尉どのに何をしてやれるわけでも無さそうじゃ。張廷尉どのは、どうみてもやがて天下の名臣といわれるべき人物であろう。そこで、わしは意味も無く廷尉どのを困らせて、跪いてくつ紐を結ばせて、ひとびとが彼を重視するように仕向けてみたわけじゃ」
「なるほどなあ。おまえさんは大した賢者じゃわい」
友人は、王生の賢なることを讃えたということである。
後、張釈之は文帝に重く用いられたが、景帝のときかつて太子時代の景帝に厳しく対応したことが責められて淮南王府の丞相に遷され、任地で亡くなった。
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「史記」巻百二「張釈之等列伝」より。
わたしも、若いものにこれぐらいはしてやれるかも知れないのだがなあ。