令和元年9月25日(水)  目次へ  前回に戻る

みんなもわしぐらいの無駄飯食らいでガマンしておくといいでぶー。

今日は平日なので、部下を使う立場のひとのタメになる話をしよう・・・かなあ。

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むかしむかし、春秋の時代。斉の桓公(在位前685〜前642)が訊きました。

多賢可云。

多賢なるもの、云(したし)むべきか。

「云」(うん)という字は、見るだけでワクワクしてくるようなロマンチックな「象形文字」です。これを

「「言う」という意味でしょ? 学校でそう習ったけど、違うの?」

としか思っていない人は、人生たいへん損をしていると思います。学校教育が悪いんですけどね。

「云」(うん)は「雲」の本字(元の字。「云」が「雲」以外の意味に使われるようになったので、「雲」を指すときには「雨かんむり」をつけて空の「雲」のことであることを明らかにするようにした。このような関係にある文字を「古今字」(古い字が「云」、新しい字が「雲」といいます)です。と言われるとわかってくると思いますが、「二」の部分が空の雲そのもので、そこから出ている「ム」「龍のしっぽ」なんです。超古代のひとたちは空の雲から龍のしっぽが出ているのをいつも見ていたので、雲を象形して「云」という字を作ったんですなあ。ゲンダイ人の我々はカシコイからそんなもの見えませんが、古代人はオロカだったのでそんなものが見えたんです。ああ情けないなあ、しっかりしてくださいよ、ご先祖様。わははは。

閑話休題。

「云」は、かなり古い時代に空の雲の意味を「雲」に譲って、「言う」とか「発言を終わらせる語」などに使われますが、「親しむ」という訓みもあります。ここはその例文に引かれるような典型的な例。

「たいへんな賢者というのは、(わしのような為政者が)親しむことができるものなのか。(わたしの部下になってくれるものなのだろうか)」

という質問です。

宰相の管仲が答えて言った。

魚龞之不食咡者、不出其淵。

魚龞(ぎょべつ)の咡(じ)を食らわざるものは、その淵を出でず。

「咡」(じ)は口と耳をくっつけて「ささやく」という意味の文字ですが、ここでは同音の「餌」と同じ意味に使われています。

「魚やすっぽんの中で、エサを食わなくてもやっていけるものは(人間の釣り針のエサになど引っかからず)、棲息する深い淵の底から出てくることがございません。

樹木之勝霜雪者、不聴於天。

樹木の霜雪に勝るものは、天に聴(ゆる)さず。

樹木の中で、霜や雪にも耐えるものは、天(がもたらす冬の季節には、本来は枯れたり落葉したりしなければいけないの)に順うことがなく、枯れたり落葉したりしません。

それらと同様に、

士能自治者、不従聖人。

士のよく自ら治むるものは、聖人にも従わず。

支配者がいなくても自分たちだけで生きていくことができる自由民は、たとえ聖人が君主となっていても、これに従うことはないのです。

従いまして、すごい賢者は為政者のもとに従いくることはございません」

・・・このあと、そのような中で君主が国を治めることの困難さをいろいろ述べるのですが、君主でないひとには役に立たない(と思われる)ので、以下略。

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「管子」侈靡第三十五篇より。ということで、あんまりすごい賢者は来てくれません。すなわち、あんまり賢者でないやつも大事にしなければならないので、まあみなさんぐらいのでガマンしなければいけないんです。サボっていても居眠りしていても怒ったり嘆いたりせず、「ああ、おれぐらいのレベルのやつしかいないんだからしようがないなあ」と微苦笑していなければなりませんぞ。しかし電車の中でスマホばかりいじっているやつ(参照)http://zenshow.net/2019/09/24/君は間違っていない、しかし/)はどうしようかな・・・。

 

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