まだ停電している地域もあるのだ。アンコウくんのように自家発電が出来るやつは困らないのであろうが。
今日も会社にも行かず家事もせず、サボって暮らしていました。災害復旧のひとたちは今日も働いている。そのほかにもいろんな人たちが今日も働いている。申し訳ないなあ。
申し訳ないので今日はタメになる話をします。
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清の康熙十八年(1679)のことだ。地震があった。
この時、索額図、明珠、魏象枢の三人が宰相であったが、朝議の後、魏象枢が帝に目配せして囁いた。
有密本。
密本有り。
「ひそかに申し上げねばならぬことがございます」
帝は頷き、他の二人に退室するよう命じた。
魏象枢はさすがに緊張からか、蒼ざめた顔で、
独留、密言。
独留し、密言す。
ひとり留まって、ひそかに言った。
此非常之変、重処索額図等、可以消此災矣。
これ非常の変なり、重く索額図等を処し、以てこの災を消すべきなり。
「この地震は、常ならぬ天変地異が起こったということでございます。(これを理由に)索額図・明珠ら(先帝の時代以来権力を掌握している旧臣)を除き、この災害の原因を除くべきでございます」
もともと帝が索額図らを除くことを考えているのを知る魏象枢の提言であった。
帝は、しかし、毅然として言った。
宰相佐君宣化之人、休戚共之。或有凡事、悉畀宰相、乃其君之過、不得独咎宰相。
宰相は佐君し宣化するの人なり、休戚これを共にせん。或いは凡事にはことごとく宰相に畀(あた)うる有るも、その君の過ちは、独り宰相を咎むるを得ざるなり。
「宰相とは、君主を輔佐して、その思いを宣べ伝える立場のひとだ。わたしは、宰相たちとよろこびと憂いをともにしたいと考えている。それでも、一般の事については、宰相にすべてを任せてしま(い、その責任を問)う方がいいこともあるであろう。ただし、君主であるわたしの過ちについてだけは、宰相の責任にすることはできない」
「ははー!」
「今回の地震は、
此皆朕身之過、与爾輩何渉。
これみな朕が身の過ちなり、爾が輩と何ぞ渉らんや。
すべてわたしの過ちが(天の怒りを)引き起こしたものだ。おまえたち人臣に何の関係もないことだ」
「は、はい! ぎょ、御意にございます」
魏象枢不能対。
魏象枢、対するあたわざりき。
魏象枢は答えることができなかった。
帝はわずかに微笑んでおっしゃった。
「よろしい。あの二人には地震の復旧について相談したということにしておきなさい。・・・彼らのことは別に考えるから」
「ぎょ、ぎょいいいい!」
魏象枢は恐懼して引き下がったのである・・・。
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清・阮葵生「茶余客話」巻一より。カッコいい! 君主はこのように一人で責任を取らねばならないことがあるのでたいへんなんです。とはいえ君主のことなので、ふつうの我々にはタメになるお話ではありませんでした。ごめんなさい。なお、索額図ら旧弊分子はこの後しばらくして別の理由で除かれますのでご安心ください。
「両般秋雨盦随筆」を読み終えたので、昨日からこの本を読み始めました。著者の阮葵生は、雍正五年(1727)江蘇山陰の生まれ、字・宝誠、吾山と号す。乾隆年間に進士に挙げられ、官は刑部右侍郎に至って乾隆五十四年(1789)に卒した。この「茶余客話」は、彼が役人時代に内閣の文書館(「内閣大庫」)に出入できたこともあって、政治、歴史、文芸等に関する批評やエピソードが豊富に記録されており、特に明清交代期の裏面史に関する記載は他の及ばぬ内容を含み、その朱子学の厳格主義を否定した進歩的な思想とともに高く評価されている・・・んだそうです。「茶余客話」上、李保民「校点説明」(上海古籍出版社2012 歴代筆記小説大観本)によると。