令和元年8月30日(金)  目次へ  前回に戻る

玄奘三蔵は、日常の国から脱け出して、いろいろ不思議なことを帰って見てきた・・・のである。

毎日毎日平凡な日常の繰り返しで、イヤになってくるぜ。

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友人の仇益泰の証言である。

明の嘉靖二十八年(1549)の二月中旬、仇の従兄に当たる若い読書人が、天寧の秀碧峰の僧房を借りて読書(受験勉強)していたときのこと、

粥後、倚北窗了夜課、忽聞寺僧聚喧。

粥後、北窗に倚りて夜課を了するに、忽ち寺僧の聚まり喧ぐを聞けり。

夕飯のお粥の後、僧房の北側の窓の下で夜の勉強をしていた。その日の課程をほぼ終えたとき、突然、寺の僧たちがどこかに集まってわいわい騒いでいるのが聞こえた。

「なんだ、なんだ?」

急出南軒、見四壁照耀流動。

急ぎて南軒に出るに、四壁の照耀として流動するを見たり。

(好奇心に駆られて)急いで南の軒端に出た。その際、部屋の四方の壁が光り輝き、どろどろに溶けて(ウルトラマンのオープニングのように)流れているかのように見えた。

「なんだ、なんだ?」

衆曰、天開眼。

衆曰く、「天開眼」なり。

僧侶たちは口々に言った、「天が眼を開きなさったのです」と。

そう言って、空の東南の方の一角を指さすのだ。

仰見東南隅、一竅、首尾狭而中闊。

東南隅を仰ぎ見るに、一竅あり、首尾狭くして中闊(ひろ)し。

東南の隅を仰ぎ見ると、天空に穴が開いているのだ。両端はせまくなっていて、まん中は広い。

如万斛舟、亦如人目。

万斛舟の如く、また人の目の如し。

巨大な万石船にも見えたし、また人の目のようでもある。

「なんと・・・」

内光明閃閃不定、似有物。而目眩不能弁。

内に光明閃々として定まらず、物有るが似(ごと)し。而るに目眩して弁ずるあたわず。

その穴の中から、光がきらりきらりと光ったり消えたりして定まらず、何かモノがあるように見える。しかし、目がくらんでそれが何であるか、わからない。

黯淡無色、須臾乃滅。

黯淡(あんたん)として色無く、須臾にして滅す。

光がきらめくのを除くと、中は白と黒の二色だけでぼんやりしており、しばらくすると消えてしまった。

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明・馮夢禎「快雪斎漫録」より。これぐらいのワクワクすることが起こらないかなあ。

なお、この現象は「葉巻型UFO」を目撃したんだろうなあ、と推定しているんですが、

「肝冷斎、UFOなんていないんだよ!」

と苦笑いしながら教えてくれる人もいます。しかし、そうなると、この「天開眼」(→参照平成23.5.29という天体現象はいったい何なのか、もっとナゾが深まってくるのである。

 

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