玄奘三蔵は、日常の国から脱け出して、いろいろ不思議なことを帰って見てきた・・・のである。
毎日毎日平凡な日常の繰り返しで、イヤになってくるぜ。
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友人の仇益泰の証言である。
明の嘉靖二十八年(1549)の二月中旬、仇の従兄に当たる若い読書人が、天寧の秀碧峰の僧房を借りて読書(受験勉強)していたときのこと、
粥後、倚北窗了夜課、忽聞寺僧聚喧。
粥後、北窗に倚りて夜課を了するに、忽ち寺僧の聚まり喧ぐを聞けり。
夕飯のお粥の後、僧房の北側の窓の下で夜の勉強をしていた。その日の課程をほぼ終えたとき、突然、寺の僧たちがどこかに集まってわいわい騒いでいるのが聞こえた。
「なんだ、なんだ?」
急出南軒、見四壁照耀流動。
急ぎて南軒に出るに、四壁の照耀として流動するを見たり。
(好奇心に駆られて)急いで南の軒端に出た。その際、部屋の四方の壁が光り輝き、どろどろに溶けて(ウルトラマンのオープニングのように)流れているかのように見えた。
「なんだ、なんだ?」
衆曰、天開眼。
衆曰く、「天開眼」なり。
僧侶たちは口々に言った、「天が眼を開きなさったのです」と。
そう言って、空の東南の方の一角を指さすのだ。
仰見東南隅、一竅、首尾狭而中闊。
東南隅を仰ぎ見るに、一竅あり、首尾狭くして中闊(ひろ)し。
東南の隅を仰ぎ見ると、天空に穴が開いているのだ。両端はせまくなっていて、まん中は広い。
如万斛舟、亦如人目。
万斛舟の如く、また人の目の如し。
巨大な万石船にも見えたし、また人の目のようでもある。
「なんと・・・」
内光明閃閃不定、似有物。而目眩不能弁。
内に光明閃々として定まらず、物有るが似(ごと)し。而るに目眩して弁ずるあたわず。
その穴の中から、光がきらりきらりと光ったり消えたりして定まらず、何かモノがあるように見える。しかし、目がくらんでそれが何であるか、わからない。
黯淡無色、須臾乃滅。
黯淡(あんたん)として色無く、須臾にして滅す。
光がきらめくのを除くと、中は白と黒の二色だけでぼんやりしており、しばらくすると消えてしまった。
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明・馮夢禎「快雪斎漫録」より。これぐらいのワクワクすることが起こらないかなあ。
なお、この現象は「葉巻型UFO」を目撃したんだろうなあ、と推定しているんですが、
「肝冷斎、UFOなんていないんだよ!」
と苦笑いしながら教えてくれる人もいます。しかし、そうなると、この「天開眼」(→参照平成23.5.29)という天体現象はいったい何なのか、もっとナゾが深まってくるのである。