あううう。夢のような土日も過ぎ、明日はまた・・・。
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話は変わりますが、明の正徳年間(1506〜21)のこと、揚州・江都県に鄭某という者があった。生来口が利けなかったが、その性格至って温良で、知人で彼を愛さぬものはなかった。
ある日の暮れ方、仕事を終えた鄭が町の南門のところまで至ったとき、
偶見空中光曜、仰視則天開眼也。
たまたま空中に光り曜(かがや)くを見、仰視すればすなわち「天開眼」なり。
ふと、上空に光るものがあるのに気づき、見上げてみたら、「天開眼」だったのだ。
―――な、なんですか、「天開眼」というのは?
そう訊かれると、わしも
―――む、む、む・・・。
と唸らざるを得ない。
「天が眼を開く」とは如何なることでしょうか。しばしば起こる天象のようで、清の諸畝香(※)の「明斎小識」にも次のような事件が記載されています。
・・・・・・壬辰の年(乾隆三十七年(1772))の秋の初めのこと、ぼんやりと立っていたところ、
見東方天忽開朗。
東方の天たちまち開朗なるを見る。
突然、東の方の空がぱっくりと開いて明るい光を発しているのを見た。
其状如船、光明湯漾。
その状は船の如く、光明は湯漾(とうよう)たり。
空の開いた部分は船のような形をしており、光はゆらゆらとたゆたうているかのようであった。
みな大騒ぎしたが、
一炊許而滅。
一炊ばかりにして滅す。
メシを炊くぐらいの間に消えてしまった。
大約即所謂天開眼也。
大約すなわち謂うところの「天開眼」なり。
よく言われる「天開眼」というものの特徴とほぼ同じであった(から、これが「天開眼」だったのであろう)。
この年は大いに豊作だった年である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
という現象のようです。
なんですかね。これは。みなさんは自分のことをカシコイカシコイと普段から思っている(そうでなければもっと真剣にわしの教えることを聴くであろうに)のですから、これがゲンダイ科学でいうところの何に当たるかなんかすぐわかるんですよねー。えらいなあ。 わたしにはUFO母船が出現したぐらいにしか思えないのですが・・・。
※諸畝香(しょ・ほこう)の「畝」の字は実際は「田+毎」(ホ)なれどもわたしの辞書機能では見つかりません。この字は「畝」の本字であるので、ここでは「畝」を用いる。
さて―――
口の利けない鄭某、「天開眼」を見て驚き、
随拝随喚人観、不覚其声之出口。
随いて拝し随いて人を喚びて観せしむるに、その声の口を出づるを覚えず。
まずは礼拝しあわてて他の人にも「あれ、あれを観よ」と喚(わめ)き立てた。
そして、(ほかのひとから「鄭さん、あなた口が利けてるぞ」と指摘されてはじめて、)口から声が出ていることに気づいたのであった。
自是不唖。
これより唖ならず。
これ以後、口が利けるようになった。
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明・朗瑛「七修類稿」巻五十一より。(我が国でも春先に「おシャカさまが掌を開く」という天象があると聞くので、それと近いのかも・・・。)
明日ぐらいコレが起こって、一気に世界が変わる!ことがあるかも知れませんので、明日もマジメに生きてみる・・・か。