令和元年7月29日(月)  目次へ  前回に戻る

前半のゴマ団子はカロリー高くてうまいでぶー。しかし後半は許されないでぶー。

今日はヨコハマへ外勤に。いいシゴトでしたが暑かった。暑いと「カロリー取らないと」という気持ちが強くなって危険である。

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麻蛋(またん)という食べ物があります。

以麺作団、炸油鑊中、空其内。大者如瓜。

麺を以て団を作り、油鑊(ゆかく)中にて炸してその内を空にす。大なるもの瓜の如し。

小麦を捏ねて団子にし、これを油の煮立ったなべの中に入れて炒め、内部の空気を膨らませて大きくする。中は空っぽだが、大きいものはウリぐらいの大きさになるのである。

という食べ物なので、(違うような気もしますが)「ゴマ団子」と解してみます。

粤中年節及婚嫁、以爲饋遣。

粤(えつ)中、年節及び婚嫁には、以て饋遣(きけん)と為す。

広州では、新年節と結婚式のお祝いに、これを贈り物とするのが通常である。

徳清の佘半眉(しゃ・はんび)がこの団子のことを詠って、

安得規模如此大、 いずくんぞ規模のかくの如きの大なるを得て、

不堪心腹竟全空。 堪えずや、心腹ついに全く空なるに。

 どうして、これほど図体は大きくなっていながら、

 心の中が全く空っぽ、ということが許されようか。

とか、

四面円光皆客気、 四面円光もみな客気、

一番投贈半虚花。 一番投贈するに半ばは虚花なり。

 どちらに向かってもころころとまるく、外面はてらてらと光っていても、実はすべて空元気、

 どうぞと贈り物にしても、半分はまぼろしの花で、中身は無い。

と言っているのは、そのまま人を戒める「警句」となっている。

人間、やはり中身を磨かねばならないので、外面だけ油ぎってキレイでも、中が空っぽではいけないのだ。

(ここから後半)

また、

粤俗最重焼猪、娶婦得完璧、則婚家以此饋女氏。

粤俗最も焼猪を重んじ、婦を娶りて完璧を得れば、すなわち婚家これを以て女氏に饋(おく)るなり。

広州の風俗では、最も重要視されるのはブタの丸焼きである。ヨメをもらって、すべて滞りなく終わると、夫の家から妻の実家に、これを贈ることになっている。

(ぶー、ぶー)

大族有用至百十頭者、蓋誇富也。

大族用いて百十頭に至る有るものは、蓋し富を誇るなり。

富豪の家で、この贈り物を何百、何十頭も贈ることがあるのは、その家の富を誇ろうとしているのである。

(ぶー、ぶー、ぶー)

一方、

如不致送、則媒氏随押粧奩、背負其女而帰矣。

もし致送せざれば、媒氏、粧奩を随押し、その女を背負いて帰る。

もしブタの丸焼きを贈らないでおくと、(たいへんメンツを潰されたことになるので)仲立ちをした紹介ばばあが、化粧品や鏡類を差し押さえて従者に持たせ、新婦を背負って実家に連れて帰る。

と言われる。当人たちの愛よりも、ブタの丸焼きの方が重要なのだ。(ぶー、ぶー、ぶー、ぶー、ぶー)

其他賽願敬神等事、率皆用之。

その他、賽願、敬神等の事、したがいてみなこれを用う。

そのほか、満願のお礼参りや神さまを敬うお祭りなどにも、すべてブタの丸焼きを使う。

(ぶー、ぶー、ぶー、ぶー)(ぶー、ぶー、ぶー、ぶー)だんだん怒りに燃えたブタが集まってきました。

最足奇者、観音誕辰亦荐此品。豈仏門清浄之戒、不到南天歟。

最も奇に足るは、観音誕辰またこの品を荐(しき)りにす。あに仏門清浄の戒も南天に到らざるか。

最も不思議でならないのは、観音様のお誕生日のお祝いにも、いつもこの品を使うことである。仏教の不殺戒も、広州のような南国には届かなかったのであろうか。

ちなみに観音菩薩の誕辰は二月の十九日とされています。

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清・梁紹任「両般秋雨盦随筆」巻三より。観音さまにまでまる焼き豚を食わせるとは。

怪しからんでぶー。ぶー、ぶー、ぶー、ぶー。(うわ、すごい数のブタが集まってきたぞ)

糾弾するでぶー、ぶー、ぶー、ぶー。ぶー、ぶー、ぶー、ぶー。

ヘイトでぶー、ぶー、ぶー、ぶー。ぶー、ぶー、ぶー、ぶー。

万国のブタよ、立ち上がるでぶー、ぶー、ぶー、ぶー、

ぶー、ぶー、ぶー、ぶー

・・・・(ブタの怒りによって当HP閉鎖の可能性も)

 

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