令和元年7月30日(火)  目次へ  前回に戻る

高崎からやってきた、だるま君でだるまー。

そろそろ夏休みかと思ったが、まだだとは、作麼生。

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唐の時代のことです。

ある僧、ふがふが言いながら桐峯庵主というひとのところにやってきました。

桐峯庵主は臨済義玄の弟子で、修行僧のたくさんいるお寺に住持せず、一人で桐峯山中の庵に住んでいたので、庵主と呼ばれます。

僧はやってきて、庵主に言った、

「えらい山の中でんなあ。

這裏忽逢大蟲時、又作麼生。

這(こ)の裏(うち)に忽ち大蟲に逢うの時、また作麼生(そもさん)。

「大蟲」は「トラ」のことです。

こないなところでトラと出会うたら、どうなさります?」

庵主便作虎声。

庵主すなわち虎声を作(な)す。

庵主はすかさずトラの鳴き声で吠えた。

「がおー」

「うひゃー」

僧便作怕勢、庵主呵呵大笑。

僧すなわち怕(おそ)るる勢を作せば、庵主、呵呵(かか)大笑す。

僧の方はただちに恐怖に震えるような様子を見せたので、庵主は「かっかっか」と大笑いした。

我が意を得た、ということなのでしょう。庵主は僧をひとかどの者と認めたらしい。

すると僧が言った、

這老賊。

這(こ)の老賊。

「なんちゅうやっちゃ、この老いぼれは」

―――あ、ダメじゃ。せっかくトラになったのに、トラではなくわしじゃという分別をしてはならん!

庵主は不愉快になって言った、

争奈老僧何。

老僧を争奈何(いかに)せん。

「この老いぼれをどうする気じゃ?」

―――このおっさん、自分がどうされるか、などと「自分」を持っているとは、がっかり・・・

僧休去。

僧休し去る。

僧はそこで会話を打ち切って逃げ出した。

宋の雪竇重顕が言うに、

是則是。両箇悪賊、只解掩耳偸鈴。

是はすなわち是なり。両箇の悪賊、ただ解す、耳を掩いて鈴を偸むことを。

「淮南子」説山訓に曰く、

有竊其鐘負而走者。鎗然有声。

その鐘を竊(ぬす)みて負いて走る者有り。鎗然(そうぜん)として声有り。

鐘を盗み出して、背負って逃げようとした者がいた。すると、(鐘の舌が揺れて)かんかん、と鐘が鳴った。

「鐘」といってもお寺の鐘のようなでかいやつではなくて、古代の鐘は手で持てる大きさのものです。

するとそいつは、

懼人聞之、遽掩其耳。憎人聞之可也、自掩其耳悖也。

人のこれを聞くを懼れて、遽(にわ)かにその耳を掩えり。人のこれを聞くを憎むは可なれども、みずからその耳を掩うは悖れり。

ひとびとに鐘の音が聞こえてしまうのを恐れて、突然自分の耳を塞いでしまった。ああ、ひとに鐘の音を(聞かれれば盗み出そうとしているのがわかってしまうのだから)聞かせたくない、と考えるのは正しい。しかし、自分の耳を塞ぐ、という方法は大間違いだ。

これは目的のために取る手法が間違っているのを指摘する「寓言」ですが、ここでは少しひねって「自分の方では納得が行っているけれど、相手にわかるようには言っていない」という譬喩のようです。

雪竇和尚が言うには、

「どちらも正しいといえば正しいなあ。桐峯庵主と僧、二人は大した者(「悪賊」)なのだが、鐘(雪竇のコトバでは「鈴」と書いていますね)を盗んで自分の耳を塞いだやつのように、人に聴かれることを忘れて自分の方さえ問題なければいい、という考え方のようで、これでは相手は納得しないであろう」

と。

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「碧巌録」第八十五則。相手を納得させるには、この人たちのように語らねばならないのである、というのが圜悟克勤のお考えである。

静止していることもできるんだるまー。

だめだ、転がるんだるまー。

 

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