令和元年7月28日(日)  目次へ  前回に戻る

南関東は一気に暑くなりました。あたまもわもわした。

暑かったです。今日の活動中は熱中的になってくらくらしました。今日のところはなんとか持ちこたえたが、もし意識を喪って倒れかけたときに、

「なんか言っておきたいことありますか?」

と訊かれたらなんといえばよいのだろうか。考えておかねばなりませんね。

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唐の時代のことですが、河南の南鄭県尉をしていた孫旻というひとが、山南地方に派遣された。

在途舎於山館。

途に在りて山館に舎す。

途中、山中の宿に泊まった。

夜半、

忽有美婦人面出于柱中、顧旻而笑。

忽ち美婦の人面の柱中に出づる有りて、旻を顧みて笑えり。

突然、美しい女の首が、柱の中から浮き出してきて、旻の方を見て、

にたり

と笑った。

孫旻は驚いたが、取り乱してはさらにその術中に嵌り込むのではないかと思い、

拝而祈之。

拝してこれに祈る。

その首に向かって拝礼を行って、お祈りをした。

すると、

良久方滅、懼不敢言也。

良(やや)久しくしてまさに滅するも、懼れてあえて言わず。

しばらくしてその首は消えていったが、どんなタタリがあるかもしれぬ、と、宿の管理者や配下の者も含め、誰にもそのことを話さなかった。

その数年後、孫旻は別の県の尉に命じられ、任命のため一度長安に行ったところで、病気になってしまった。

友人問疾。

友人、疾を問う。

友人が病気見舞いに来てくれた。

友人は一見して重篤であることを察知して、

「大したことは無いようだが、何か言っておきたいことはあるか?」

と訊ねた。

すると、

「これまでどうしても言えなかったことがある・・・」

と、

旻乃言之而卒。

旻すなわちこれを言いて卒せり。

孫旻はこの首のことを告げて、そして死んだのであった。

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唐・牛粛「紀聞」巻八より。臨終のコトバといえば、「論語」泰伯篇第八に次のようなお話がありますね。

曾子有疾、孟敬子問之。

曾子疾有り、孟敬子これを問う。

曾参先生が病の床に就かれたとき、魯の重臣・孟敬子が見舞いに行った。

すると、

曾子言曰、鳥之将死、其鳴也哀。人之将死、其言也善。

曾子言いて曰く、「鳥のまさに死なんとするや、その鳴くや哀なり。人のまさに死なんとするや、その言や善し」と。

死期を覚った曾先生はおっしゃった。

「鳥が死を覚ったとき、その鳴き声は哀れをもよおします。人が死を覚ったときには、そのコトバはお聞きになる価値があります」

と。

続けておっしゃるに、

君子所貴乎道者三。・・・

君子の道に貴ぶところのもの、三あり。・・・

「あなたのような立派な地位にある方が、人のあるべき姿として尊重せねばならないことが三項目ございます。それは・・・」

・・・というところで今日は時間切れです。みなさん「人生のノウハウか」と珍しく膝を乗り出して肝冷斎のコトバを聴こうとされたと思います。みなさんノウハウは好きだからなあ。しかし明日は月曜日なので、わしには時間が無いんじゃ。ここから先はまた今度の機会にいたしましょう。

さて、↑というように、人は臨終のときにいいコトバを伝えるべきものなのです。孫旻というひとは「女の首が出たんじゃ・・・」と言い遺していったわけですが、わしもそろそろ考えておかないとなあ。

 

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