令和元年7月21日(日)  目次へ  前回に戻る

昨日から土用に入ったはずだが、少しも暑くならないので、こいつらは夏バテではなく、ただのやる気なしなのでぶー。

明日はついに平日だ。この日が来るのを怖れていたのに、とうとう来てしまった。

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清の時代の半ば過ぎに、王健庵先生というひとがいた。

家貧、以諸生老、治詩、格不求高、而専事精潔。

家貧しく、諸生を以て老い、詩を治むるに、格は高きを求めず、而して事を専らにして精潔なり。

貧乏で、生員の身分(学生の扱いで役人にはなれない)のままで年老いた。詩を作らせると、特に高ぶった風格を作ろうとはしなかったが、描こうとする物事に専心して、精密でかつ潔癖だ、といわれた。

たとえば、

蘿添老樹衰時葉、 蘿は老樹に衰時の葉を添え、

雲補青山缺処峰。 雲は青山に缺処の峰を補う。

 年老いた木は衰えてもう葉が無いのだが、巻きついたツタの葉が老樹の葉の代わりになっている。

見渡す緑の山々は高きも低きもあるのだが、沸いた雲が山並みの欠けたところを埋めている。 (「偶成」ふいにできた詩))

など、複雑な作りになっていて、その腕前を窺わせるし、

妻兼婢事休嫌懶、 妻は婢を兼ね事(つか)えて懶を嫌うを休(や)め、

女比児柔不厭多。 女は児に比して柔らかく多きを厭わず。

 女房は(家が貧乏なので、「奥さま」とはいかず)下女の仕事もしているが、(わたしが)怠けているのを嫌がるわけでもなく、

 娘たちは男の子に比べて物柔らかなので、何人いても苦にならない。 「自遣」自分でいいところをあげてみる))

というのは、古人の誰も詠じなかった境遇であろう。

それから、「詠鼠」(ネズミのうた)にいう、

怪它両眼小于漆、 怪しかりし、它(そ)の両眼の漆より小さきも、

長看世人夢未醒。 長く世人の夢のいまだ醒めざるを看たり。

おかしなことだが、ネズミのまなこはウルシの実よりも小さいけれど、

ずっと夜中にひとびとがぶうすかと、文明の夜明けも知らずに眠っているのを見つめてきたのだ。

というのは、

頗得元人風味。

頗る元人の風味を得たり。

(モンゴル支配の下で、出世することもできず、皮肉っぽく世の中を見ていた)元の時代の読書人のような味わいがすごくある。

さて先生は

晩年自号青躬道人。

晩年、自ら「青躬道人」と号せり。

晩年には、自ら「青いからだの道教徒」と名乗っていた。

「どういう意味なのですか」

と訊いてみると、にやりと笑って、

無米無穴、精窮而已。

米無く穴無く、精も窮まるのみなり。

「食糧も棲み処も無いのでは、もはや精魂も窮迫して、体も青ざめてしまうしかないであろう―――ということじゃ」

「精」から「米」、「窮」から「穴」を除いて、「青躬」としたのだということでした。

其風趣如此。

その風趣かくの如し。

その雰囲気や趣向はこんな感じであった。

先生はもと浙江杭州・仁和の生まれで、有名な袁随園先生の甥だかなんだかに当たるひとだったそうである。

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清・梁紹任「両般秋雨盦随筆」巻三より。カッコいいですね。しかも生活には苦しんでいるようだが、女房やムスメとは仲良さそうだし、「諸生」のままで就職出来ていないので会社にも行かなくてもいいらしいのがスバラシイ。

 

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