ゲームにも使えるロックなセンスの「ネコネコ塗り絵カレンダー」が出来ました。頒布額〇円です。いますぐ肝冷出版に申し込もう―――だが肝冷出版は地下出版なのでこの世には無いのだ!
疲れたー。が、なんとまだ月曜日とは・・・。
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ああ、いやだなあ、はやく夏休みにして欲しいのになあ。毎日が不安で憂鬱だなあ。
時人応怪我何求。 時人まさに怪しむべし、我何をか求む、と。
白尽従来未白頭。 白く尽きたり、従来いまだ白からざりしの頭。
現代のやつらは、おれが一体何を目指しているんだ、と疑問に思うんだろう(が、本当はおれは不安で憂鬱でしようがないのだ)。
これまで白くなってなかった髪が、真っ白になってしまったからなあ。
一行目、「何をか求める」と人が言うと、自分の本心は「何かを憂う」(不安で憂鬱だ)になるんです。何故ならば、「詩経」王風「黍離」に次のようにいっているからなんです。
彼黍離離、 彼の黍は離離たり、
彼稷之苗、 彼の稷の苗は、
行邁靡靡、 行邁して靡靡とし、
中心揺揺。 中心揺揺たり。
知我者謂我心憂、 我を知る者は我が心憂うと謂い、
不知我者謂我何求。 我を知らざる者は我何をか求むと謂う。
悠悠蒼天。 悠々たるかな、蒼天よ。
また、大概大概に訳してみますよ。
あそこでキビはゆらゆらと実を垂れさせはじめている。
あちらのアワの苗は、成長しているがゆっくりとして育ち切っておらず、
おれの不安な心の中のように、ゆらゆらと揺れている。
おれのことをよく知っているやつは言うだろう、あいつは不安でしようがないんだ、と。
おれのことをよく知らないやつは言うだろう、あいつは何を目指しているのだろうか、と。
はるかなる青空よ(、あの空のようにおれと今の時代の人の気持ちは隔たってしまっているのだ)。
というんです。つまり、自分のことをよく知らないやつは、あいつは「何を目指しているんだ?」と言う、と言っているんですが、この「詩経」のコトバを踏まえると、本当の気持ちは(自分のことをよく知っている人がいたら図星に当ててくれるであろうように)不安でしようがないんだ、ということになります。
磅礴崑崙三万里、 磅礴(ほうはく)たり崑崙、三万里、
不知何地可埋憂。 知らず、いずれの地にか憂いを埋ずむべき。
「磅礴」(ほうはく)は「広大なようす」、「崑崙」(こんろん)はチベットの向こうにあるとされた天につながる聖地、「三万里」は一里=500メートルで計算してみると、1万5千キロぐらい。
はるかな崑崙の地は三万里のかなた、(そんな広大なこの大地であるが)
一体おれのこの憂愁を埋めるべき土地はあるだろうか。
おいらも不安で憂鬱だが、このコンクリートジャングルには埋めるべき地面がないのさ。へいへい、ロックな心も無いではないが、もうおしまいだぜべいびー。
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宋・陸放翁「書憂」(「憂いを書す」)。ちなみに、上記の「黍離」の詩は、紀元前8世紀に西周王国が崩壊して東周に移った後、東周のひとが西周の故地を通ったときに作った詩だ、と古来解されているので、「黍離」を作ったひとの「憂い」は「亡国の哀しみ」である、ということになっていて、ここで陸放翁が抱いている不安と憂鬱も、北方の金国ときちんと対決しようとしない南宋の為政者への批判だと推測されるところです。
なお、第四句の「いずれの地にか憂いを埋ずむべき」というかっこいいコトバは、次の典故に依ります。
・・・後漢末の仲長統、字・公理ははじめ袁紹に属し、後、曹操の幕下にあって
毎論説古今及時俗行事、恒発憤歎息。
古今及び持俗の行事を論説するごとに、つねに発憤し歎息す。
昔、最近、現代の事件、ひとびとの行動について議論しあい、そうするといつも憤慨し、ため息をつくのであった。
という人物ですが、その青年時代、
寄愁天上、埋憂地下、 愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋ずめ、
叛散五経、滅棄風雅。 五経に叛き散らし、風雅を滅ぼし棄てん。
(決まったレールに乗るのはもうやめだ、)不安な気持ちは天上に放り投げてやる、憂鬱な不安は地下に埋めてしまえ、
儒教の五つの経典(書・易・詩・春秋・礼)にそむいて投げ出し、(詩経の)国風や大雅・小雅の篇など無くなってしまっていいやと棄ててしまうんだ!
という(当時としては)ロックな詩を作って有名になっております。(「後漢書」巻79「仲長統列伝」より)
この「愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋ずむ」というのは、よく典故に使われる有名なフレーズになっているので、試験に出るかも知れませんので覚えておこう。どんな試験か想像がつきませんけど。