令和元年7月20日(土)  目次へ  前回に戻る

「カッパがシリコダマとれなくて弱っているでぴよ」「しめしめ今のうちにカッパを領土にしてしまうでガー」「カッパはひよこの領土でぴよ」「アヒルの領土でガー」とここでもまた争いだ。こんな争いだらけの世間には悲哀・心配・苦労・恐怖・危険ばかりが蠢いている。

日は射しませんが蒸し暑くなってきました。黒カビたちが蠢いているだろう。

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今日もこの数か月の間で気に入ったやつをやります。

むかしむかし、紀元前5世紀の初め頃のことですが、魯の哀公が孔子に質問した。

寡人生於深宮之中、長於婦人之手、未嘗知哀也。未嘗知憂也。未嘗知労也。未嘗知懼也。未嘗知危也。

寡人、深宮の中に生まれ、婦人の手に長ずれば、いまだ嘗て哀を知らざるなり。いまだかつて憂を知らざるなり。いまだかつて労を知らざるなり。いまだかつて懼を知らざるなり。いまだかつて危を知らざるなり。

「寡人」は直訳すれば「足りないひと」ですが、諸侯の一人称として用いられます。

「わたしは宮中奥深くに生まれ、おもりの女性たちに大切に育てられてきたので、「悲哀」ということを知らないのじゃ。「心配」ということを知らないのじゃ。「苦労」ということを知らないのじゃ。「恐怖」ということを知らないのじゃ。「危険」ということを知らないのじゃ。(これらはどういうものなのであろうか?)」

おお。

わたしも「愛」とか「友情」とか「青春」とか「熱血」とか「リアル充実」とかいろんなことを知らないので、誰かに訊いてみたい気もしますが、まあ今更だしなあ。

さて、そう訊ねられた孔子先生は考え込んだ。

「うーん・・・。

君之所問、聖君之問也。丘小人也。何足以知之。

君の問うところは聖君の問なり。丘は小人なり。何ぞ以てこれを知るに足らんや。

とのさまのご質問は、聖人君子(といいますか、生まれながらに高貴な方)のご疑問と言えましょう。この孔丘(丘は孔子の名)は下っ端のちっぽけな人間ですから、どうしてそんなご疑問にお答えすることができましょうか」

そんなこと知らんわ、と言ったのである。

哀公はおっしゃった、

非吾子無所聞之也。

吾が子にあらざればこれを聞くところ無からん。

「そう言わんでくれ。あなた以外に、こんなことを教えてくれそうな人はいないのだ」

彼にとっては切実な問題であるらしい。人の師として答えてやらないわけにはいかないであろう。

「うーん、そうですなあ・・・」

と孔子が答えて言いましたことには―――

君入廟門而右、登自胙階、仰視榱棟、俛見几筵、其器存其人亡。君以此思哀、則哀将焉不至矣。

君、廟門に入りて右し、胙階より登りて、榱棟を仰ぎ視、几筵を俛して見るに、その器存してその人亡し。君これを以て哀を思わば、哀、はたいずくんぞ至らざらんや。

とのさま、ご先祖たちのみたまを祀るおたまやの聖域に入る門がございましょう。門を入って右に行くと、お供え物の肉を持って上がる階段があり、それを昇っておたまや(廟堂)に入って、天井を見上げますと立派なたるきや棟木が組まれている。視線を下に落とすと、そこには卓や竹製の敷物があって、そこにはご先祖さまのみたまに捧げる供物や飲み物を入れるためのいろんな器が置かれておりましょう。器は遺っているのに、これで飲食されたご先祖さまたちはみなお亡くなりになってしまわれています。とのさまがそのことから「悲哀」をお感じになられれば、「悲哀」を知らないですむということがありえましょうか。

君昧爽而櫛冠、平明而聴朝、一物不応、乱之端也。君以此思憂、則憂将焉不至矣。

君、昧爽にして櫛冠し、平明にして朝を聴くに、一物応ぜざるは、乱の端なり。君これを以て憂を思わば、憂、はたいずくんぞ至らざらんや。

とのさま、夜明け前のまだ暗いうちに髪を整えられ、夜が明けるとすぐに臣下たちを集めて朝廷を開かれますが、そのときに、ただ一つでも、とのさまが問題にしたことについて臣下の者たちが誰も対応しないという事案があれば、それはやがて国が乱れる始まりです。とのさまがそのことから「心配」になられれば、「心配」を知らないですむということがありえましょうか。

君平明而聴朝、日昃而退、諸侯之子孫、必有在君之末庭者。君以此思労、則労将焉不至矣。

君、平明にして朝を聴き、日昃(かた)むきて退くに、諸侯の子孫、必ず君の末庭に在る者有り。君これを以て労を思わば、労、はたいずくんぞ至らざらんや。

とのさま、夜が明けるとすぐに臣下たちを集めて朝廷を開かれた後、正午を過ぎますと後宮の方に退かれますよね。そのとき、とのさまと同じ諸侯の方々の一族で、(亡命などによって)とのさまの臣下の末の方に控えておられる方が必ずおられるはずです。とのさまがそのことから「苦労」ということをお感じになられれば、「苦労」を知らないですむということがありえましょうか。

君出魯之四門、以望魯四郊、亡国之虚、則必有数。君以此思懼、則懼将焉不至矣。

君、魯の四門を出でて以て魯の四郊を望めば、亡国の虚(あと)、すなわち必ず数有らん。君これを以て懼を思わば、懼、はたいずくんぞ至らざらんや。

とのさま、この魯の町の四方の門から外に出て、魯の城外の野原を眺めわたしてみてください。魯の国ができる以前に滅んだ国や文明の遺跡が、必ずたくさんあるはずです。とのさまがそのことから(自分の国も亡びるのではないかと)「恐怖」をお感じになられれば、「恐怖」を知らないですむということがありえましょうか。

それからまた、

丘聞之。

丘、これを聞けり。

わたくし孔丘は、このように聞いております。

君者舟也、庶人者水也。水則載舟、水則覆舟。君以此思危、則危将焉不至矣。

君これを以て危を思わば、危、はたいずくんぞ至らざらんや。

君主というのは舟であり、人民が水である。水は舟を浮かべますが、舟を転覆させることもある、と。とのさまがこのことから「危険」ということをお感じになられるなら、「危険」を知らないですむということがありえましょうか。

これまで「悲哀」「心配」「苦労」「恐怖」「危険」を知らない、というのは、以上のような省察をしてこなかった、ということなのでございます。これからはしましょう!

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「荀子」哀公篇第三十一より。こんなことばかり考えていると、不安症になってきてしまいます。もっと明るく、無責任・無計画・無軌道の三無主義でやればいいのでは・・・と言ってはみても、イヤなことしか考えられないわれら一族であるのだ。明日の選挙結果でイヤなことになってしまったらイヤだなあ。そして、今日と明日寝るともう平日が来るのだ。「悲哀」「心配」「苦労」「恐怖」「危険」ばかりの日々である。

なお、

君なるものは舟なり、庶人なるものは水なり。水はすなわち舟を載せ、水はすなわち舟を覆す。

というコトバは、「貞観政要」などに引かれ、後世の「帝王学」の重要な考え方になりますので、試験に出るカモしれませんから、覚えておきましょう。(何の試験か想像もつきませんが。)

 

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