令和元年7月19日(金)  目次へ  前回に戻る

カッパだ。冷夏でシリコダマが取れず、落ち込んでいるようだ。これから暑くなって、コドモたちが川や湖の危険なところで泳いでくれるのであろうか。

今日は出勤。疲れた。来週はもっとツラい。来週はもうこんな長いの更新できなくなってしまうかも知れないので、前からご紹介したかったやつを、今週のうちにやります。

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むかしむかし、

子貢問於孔子、曰、君子之所以貴玉而賤E者、何也。為夫玉之少而E之多耶。

子貢、孔子に問いて曰く「君子の玉を貴びてEを賤しむ所以のものは何ぞや。かの玉の少なくしてEの多きがためなるか」と。

弟子の子貢が孔子に質問しましたのじゃ。

「先生、賢者たちが「玉」(たま)を大切にして「E」(いし)をぞんざいにする理由はなんですか。玉というものが希少で、Eはそこらへんにごろごろしているからですか」

「E」(びん)は玉に次ぐ美石をいい、美しいが玉ではない、というものです。

孔子は答えた。

悪、賜、是何言也。夫君子豈多而賤之、少而貴之哉。夫玉者君子比徳焉。

悪(おお)、賜(し)、これ何の言ぞや。かの君子、あに多くしてこれを賤しみ、少なくしてこれを貴ばんや。かの玉なるものは君子徳に比するなり。

ここの「悪」(あく)は「悪い」とか「憎む」ではなく、「嗚呼」(おこ)と同じく、感嘆詞。「賜」(し)は子貢の本名。普通は相手を名で呼ぶのは非礼に当たりますが、孔子は先生ですから弟子の子貢(姓・端木(たんぼく)、名・賜)を名で呼ぶことができます。

「ああ、賜よ、なんということを言うのじゃ。かの賢者たちが、多くあるからといってぞんざいにし、希少だからといって大切にする(という経済的価値で判断するような)ことがあろうか。賢者たちは、「玉」というものを、人の具えるべき「徳」に喩えている(から玉を大切にする)のじゃ」

「と言いますと・・・」

孔子はおっしゃった、

温潤而沢、仁也。  温潤にして沢(たく)なるは、仁なり。

縝栗而理、知也。  縝栗(しんりつ)にして理あるは、知なり。

堅剛而不屈、義也。 堅剛にして屈せざるは、義なり。

廉而不劌、行也。  廉あれど劌(き)らざるは、行なり。

折而不撓、勇也。  折れて撓まざるは、勇なり。

瑕適並見、情也。  瑕適(かてき)並び見(あら)わるは、情なり。

扣之其声清揚而遠聞、これを扣くにその声の清く揚がりて遠く聞こえ、

其止輟然、辞也。  その止むるや輟然たるは、辞なり。

 あたたかみがあってしっとりとしているのは、まるで「仁」(やさしさ)のようではないか。

 綿密に引き締まって筋道があるのは、まるで「知」(かしこさ)のようである。

 堅く剛直で誰にも屈することがないのは、まるで「義」(ただしさ)のようではないか。

 廉(かど)があっても触れるものを劌(きずつけ)ることがないのは、まるで「行」(なめらかさ)のようではないか。

 折れることはあっても、圧されて曲がることがないのは、まるで「勇」(いさましさ)のようではないか。

 キズ(「瑕」はもちろんですが「適」にもタマのキズの意味があります)があれば必ず二本現れるのは、まるで「情」(なさけぶかさ)のようではないか。

 たたけばその音が清らかに通り遠くまで聞こえ、たたくのを止めれば(反響などなく)ぴたりと音も止まるのは、まるで「辞」(ことばたくみさ)のようではないか。

故有E之彫彫、不若玉之章章。

故に、Eの彫彫たる有れども、玉の章章たるにしかざるなり。

というわけで、「E」にいろいろ飾ったり彫ったりして美しく仕上げたとしても、「玉」が明るく清らかであるのにはかなわないのじゃ。

美しいコトバだなあ。そのまま詩になっているので、感心します。

孔子は続けました。

「ところで、おまえは「詩経」の秦風(秦の民謡)「小戎」(小さめの軍用馬車)を覚えているか?」

言われて、子貢は口ずさんだ。

「えーと、

小戎践収、 小戎は践収にして、

五楙梁輈、 五楙(ぼう)の梁輈(りょうしゅう)あり、

游環脅駆、 游環あり、脅(きょう)駆あり、

陰靷鋈続、 陰靷(いん)あり、鋈(よく)せる続あり、

文茵暢轂、 文茵あり、暢轂あり、

駕我騏馵。 我に駕するに馵(しゅ)を騏(かざ)る。

言念君子、 言(ここ)に君子を念わば、

温其如玉。 温かきことそれ玉の如し。

在其板屋、 それ板屋に在りて、

乱我心曲  我が心曲を乱れしむ。

・・・・」

前半はかっこいい馬車についての記述なので現代人には読みづらいのですが、後半は出征している彼氏のことを女が思いやっている、という詩です。朱晦庵の解釈を参考にだいたい読んでみますと(マジメに綿密な訳ではなくて、こういう大概な読みができるのは、在野の肝冷斎ならではですよ)、

 小さめの馬車、つまり軍隊用の馬車は、囲いが浅めで、

 五か所で束ねた曲がった横木、

 馬の背中にとりつけた環、胸のところでつなぐ馬具があり、

 かわひもで結ばれていて、取りつけるところには銀のかぶせもの、

 馬車の座席はトラの模様の座布団、車軸受けは大きめに作り、

 わたしの前を走るのに、馬の左足に飾りをつけていた。

 さて、あのひとのことを思い出すと、

 あのひとの温かさは玉のよう。

 いまは版で作った家のある西の異民族のところへ(出征しているので)、

 わたしの心を悩ませる。・・・

孔子は子貢が口ずさむのをさえぎって、おっしゃった、

「そうじゃ、その

言念君子、温其如玉。 ここに君子を念わば、温かきこと玉の如し。

 さて、あのひとのことを思い出すと、あのひとの温かさは玉のよう。

というのは、まさに

此之謂也。

これ、この謂いなり。

このこと(玉が徳の比喩であるということ)を言っているんじゃよ」

と。

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「荀子」法行篇第三十より。最近(この半年ぐらい)読んだ漢文中で、一番感心した文章ですわー。内容もいいこと言っているし、話もよくわかるし、オチもついているし。孔子の教えを受けて、仁・知・義・行・勇・情・辞の「玉の七徳」、みなさんも身に着け(られるよう努力し)よう! ・・・と更新しているうちに夜明けが近づいてきていた。わしのような計画性も無い老いぼれはもうダメですが・・・。

 

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