令和元年7月6日(土)  目次へ  前回に戻る

キジムナー、シーサー、赤マーヤー、青マーヤー、いずれも沖縄で名の有る神霊たちであるにゃぞ。おれらもありがたがって祀ってもいいにゃぜ。

しとしと雨が降っているなあ。

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オロカな民が祀る神廟にはずいぶん「誕妄」(うそで妄想ばっかり)なものがある。我が杭州の城外には、

有時遷廟、凡行窃者多祭之。

時に遷廟有り、およそ窃を行う者、多くこれを祭る。

神廟を立て替えて神さまを遷すことがあると、盗人仲間がありがたがって信者になることが多い。

遷社のときにスリで儲けさせてもらったため、だと思われる。

濟寧には、水滸伝で名高い梁山泊の首領・宋江を祀る宋江廟があるが、

為盗者嘗私祈焉。

盗を為す者、かつて私祈せり。

(山賊の親玉だ、ということで)以前は窃盗者仲間が団体を作って、(地域の祭りとは別に)祈願祭を行っていた。

汲県には悪名高い殷の紂王を祀る廟があるが、

凡龍陽胥祷于是。

およそ龍陽の胥(ともがら)ここに祷る。

男性同士で愛し合っている者たちは、みんなここに来て祈る。

紂王が男性も女性も愛したからであるらしい。

男性が女性と懇ろになりたいと思うと、これも水滸伝で名高い二人、いなせで美妓・李師師の義兄弟となった張順の廟、兄貴の女房・潘金蓮に言い寄られた武松の廟などにお参りする。

何か間違ってしまっているのも多く、陳州城の外にある廟堂には「顔曰一字王仏」という名の仏像が祀られている、というのだが、その像はどこをどう見ても孔子である。その北の方には牛王の廟があるが、

画百牛于壁、牛王居其中、則冉伯牛也。

百牛を壁に画き、牛王その中に居るに、すなわち冉伯牛なり。

百頭のウシを壁に画いてあり、その真ん中に人間の姿が一人描かれているが、そのかたわらには「牛王・冉伯牛」と書いてある。

冉伯牛はもちろん、孔子の高弟、十哲の一人である。字に「牛」が入っているので「すぐれたウシ」と考えられたのであろう。

有名は話であるが、

温州有土地、杜十姨無夫、五髭須相公無婦、于是合而為一。

温州に土地有り、杜十姨(と・じゅうい)は夫無く、五髭須(ごししゅ)相公には婦無し、ここにおいて合して一と為す。

温州の土地で祀られている神さまに、杜十姨(杜家の十番めのむすめ)という女神さまがいて、これには夫がいない。また五髭須相公(五つのヒゲの生えた大臣さま)という神さまがいて、これには妻がいない、というので、この二神を一緒にしてやった。

というのだが、これは

則杜拾遺、伍子胥也。

すなわち杜拾遺、伍子胥なり。

実は、杜拾遺(と・しゅうい。唐の詩人・杜甫のこと。左拾遺の官に就いたことがあるためこう呼ぶ)と伍子胥(ご・ししょ。春秋時代の楚の出身で、いろいろあって呉の丞相となって楚を討つ。その後、越との和平に反対して呉王の怒りを買い、賜死)であった。

この二人を夫婦にしてしまったのだから、これも龍陽のともがらが祀ってもいいかも知れない。

北宋の詩人・林和靖を祀った廟には、林は生涯独身だったのに、

塑女像為偶、題曰梅影夫人之位。

女像を塑して偶と為し、題して「梅影夫人の位」と曰えり。

女性の粘土像を造って、配偶者にしてあり、「梅影夫人の像」と立て札がある。

これは林和靖が独身で生活に困らないかと問われて、「わしにとっては梅花が妻であり、(餌をやって馴らした)鶴が子どもであるから不便はござらんよ」と答えた、という故事(「梅妻鶴子」)に則っているのですが、

或戯之曰何不兼塑仙鶴郎君。

あるひとこれに戯れて曰く、「何ぞ兼ねて仙鶴郎君を塑らざる」と。

あるひとがふざけて、「どうしてもう一つ、(むすこの)仙鶴坊ちゃんの像を造ってやらないんだ」と言い出した。

さすがにこれは今のところ実現していないが、

世俗誕妄、真是匪夷所思。

世俗の誕妄は、まことにこれ夷(つね)の思うところにあらざるなり。

オロカな民のうそや妄想は、本当に普通のひとの考えるところを超越しているものである。

ところで、

凡廟中司事之人、吾郷名之曰廟鬼、所作所為、往往戯侮神聖。

およそ廟中に事を司るの人、吾が郷にこれを名づけて「廟鬼」と曰い、作すところ為すところ、往往にして神聖を戯侮せり。

神廟のことを地域の中心になって切り盛りするひとのことを、わしの郷里では「神廟おばけ」と呼ぶ(。もちろん揶揄しているのである)。このひとのやることなすことは、時に自分が信じている聖なる神さまをバカにしているとしか言いようのないことを仕出かすことがある。

例えばある関帝廟で、

関帝手中所執之扇、末署款云、雲長二兄大人属書、愚弟諸葛亮。

関帝の手中に執るところの扇に、末に款を署して云う、「雲長二兄大人に書を属す、愚弟・諸葛亮」と。

関帝の像の手のところに(本物の)扇を持たせて祀ってあるのですが、その扇の最後に「二番目のアニキ、雲長さんへ 愚弟・諸葛亮記す」と書いてあった。

もちろん関帝は三国志の英雄・関羽、字・雲長ですが、彼が義兄弟だったのは劉備のアニキと張飛が弟なので、諸葛亮は義兄弟ではありません。それを誤解している上に、英雄と大軍師をそこらの村のあにさんたちと同じようなものだと考えているらしくて、

真堪発噱。

真に発噱(はっきゃく)に堪えたり。

ほんとに、ふきだしてしまわざるを得ない。

また、ある年、わが郡で保沙会というのを催して、

各廟神像倶迎聚于西湖瑪瑙寺前、于是諸神持帖互拝。

各廟の神像ともに西湖・瑪瑙寺の前に迎聚し、ここにおいて諸神帖を持して互拝す。

各村の神廟にある神像を、(山車に乗せて)西湖の湖畔にある瑪瑙寺の前に集めて、ここでそれぞれの神像のかたわらに挨拶状を掲げてお互いに挨拶をさせる、ということを行った。

この催し自体どこかおかしいのだが、

最奇者大士名帖云、愚妹観世音斂衽拝。尤堪捧腹也。

最も奇なるものは、大士の名帖に云う、「愚妹・観世音、衽を斂(おさ)めて拝す」と。もっとも捧腹に堪えたり。

最も目を引いたのは、観音大士(観音菩薩のことです)の挨拶状で、

「愚かな妹のあたし、観世音、襟を正してお兄様たちにご挨拶します」

と書いてあったのだ。これほど腹を抱えて笑ってしまったものはない。

わははは、

わははは。

ひいっひっひ、

ひいっひっひっひい。

何が可笑しいのか説明しづらいのですが、観音さまは女神さまだと信じ込み、その上で人間のおばさんがするように挨拶させているのがオモシロいんだと思われます。

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清・梁紹壬「両般秋雨盦随筆」巻一より。何で笑うのよー、と観音様が怒ってきたらやっぱり可笑しいですよね。

最近ツラいことがあって涙がにじんだりもするが、今日は可笑しくて励まされたぜ。

 

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