令和元年7月5日(金)  目次へ  前回に戻る

なんにゃ?おれも仲間に入れるにゃ。おれ(神猫マーヤー)は三百年ぐらいは生きているにゃぞ。

今日も洞穴で飲酒。動悸がしてツラい。わしらは三百年はムリかも知れん。

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むかしむかしのこと、

夏首之南有人焉。曰涓蜀梁、其為人也、愚而善畏。

夏首の南に人有り。涓蜀梁(けんしょくりょう)と曰う。その人となりや、愚にして善く畏る。

夏水(長江に流れ込む現在の漢水である)の源流地域の南の方に、涓蜀梁というひとがいた。そのひとの人柄は、オロカでたいへんなコワがりであった。

このひと、

明月而宵行、俯見其影、以爲伏鬼也。

明月にして宵に行き、俯してその影を見て、以て伏鬼と為せり。

月の明るい晩に出かけたのだが、ふと見下ろすと、何やら蠢いている者がいる。これは自分の影なのだが、涓蜀梁は、幽霊が寝そべっているのだと思った。

「うひゃー!」

仰視其髪、以爲立魅也。

仰いでその髪を視、以て立魅と為せり。

顔を上げたときに自分の髪の毛が目に入り、今度は精霊が立ちあがっているのだと思った。

「どひゃー!」

背而走、比至其家、失気而死。豈不哀哉。

背して走り、その家に至る比(ころおい)、気を失して死せり。あに哀しからずや。

逃げ出して走り、自分の家に至りついたところで、意識を失って死んでしまった。ああ、なんと哀しいことではないか。

このように、

凡人之有鬼也、必以其感忽之間、疑玄之時、正之。此人之所以無有而有無之時也。

およそ人の鬼有りとするや、必ずその感忽の間、疑玄の時を以てし、これを正とす。これ、人の有るを無しとし無きを有りとする所以の時なり。

ひとが心霊現象があった、と考えるのは、必ずその感覚を忽せにした一瞬、幻覚に疑惑されたときであり、その時にはそれが正しいと思い込んでしまうのである。これはひとが、有るものを無い、無いものを有るとしてしまう理由のある時間なのだ。

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「荀子」巻二十一「解蔽篇」より。自らの影を懼れ、自らの髪に驚き、ついに死に至ってしまうとは。みなさん、気をつけてくださいね。

なお、涓蜀梁という人について、すぐ死んでしまうようなモブキャラに、わざわざこんな立派な名前がついているのは何故なのか、昔から疑問に思ったひとがいたようで、漢・劉向「列仙伝」に出る仙人・涓子(涓先生)のことだという説があるそうです。

しかしながら、涓子は、

斉人、好餌朮、接食其精、至三百年、乃見於斉、著天人経四十八篇。

斉ひとにして、朮を餌するを好み、その精を接食して三百年に至り、すなわち斉に見(あら)われて、「天人経」四十八篇を著す。

山東の斉のひとで、朮(おけら)を食べるのを好み、その精を吸って三百年過ごして、斉に姿を現し、「天人経」という四十八篇からなる書物を著した。

んだそうですが、

後釣於荷沢得鯉、腹中有符、隠於宕山、能致風雨。受伯陽九仙法。

後、荷沢に釣して鯉を得るに、腹中に符有り、宕山に隠れ、よく風雨を致せり。伯陽九仙法を受く。

それから、荷沢という沼で釣りをして鯉を得たが、その腹の中にお札が入っていた。そのお札を以て宕山に籠り、そこで風と雨を操っていた。さらに李伯陽から九仙法という術を教授された。

ちなみに伯陽というのは、「史記」老荘申韓列伝によれば老子・李耳の字とされていますので、このひとは老子に学んだということである。

淮南王安、少得其文不能解其旨也。独其琴心三篇有条理焉。

淮南王安、少くしてその文を得るもその旨を解するあたわざるなり。ひとり「琴心」篇のみ条理有りという。

漢の博物学者・淮南王・劉安は、若いころに涓子の文(上述の「天人経」のことであろう)を入手したが、何が書いてあるのかさっぱり理解できない。わずかにその中の「琴の心」篇だけ、意味が取れたということである。

という歴代トップクラスの仙人なので、漢水の南(湖北)という出身地にも、愚にしてすごいコワがりという性格にも、どうも適わないように思われます。

・・・思われましたところですごい眠いので推敲もできません。もう寝る。その前にお風呂どうするのか。もうダメだー。

 

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