令和元年5月20日(月)  目次へ  前回に戻る

何ものかに見張られているように感じることも多いが、真似されて困るようなことをしてはいけません。

眠り過ぎて遅刻。遅刻ぐらい真似してもいいと思いますが、↓は真似してはいけませんよ。

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元・恵宗の元統元年(1333)のことだそうですが、皇帝の姉君のご主人に当たる剛哈剌咱(ゴ―ハラサ)慶王という方が、大都(ペキン)の街中で、

偶墜馬、則両眼睛倶無、而舌出至胸。

たまたま馬より墜ち、すなわち両眼の黒睛ともに無く、而して舌出でて胸に至れり。

突然馬から落ちてしまい、助け起こしてみると、両目は完全に白目を剥いて、また舌がびよよ〜んと胸のところまで延びてしまっていた。

「これは・・・」

宮中務めの医官らがすぐに呼ばれてきたが、

諸医束手。

諸医手を束ぬ。

医官たちは(その症状を診て、)手が出せなかった。

「束手」は日本語でそのまま訓じて「手を束(つか)ねる」という言い回しになっていますが、本来は両手を縛ってしまうこと、転じて手が出ない、手を出さない、の意に使われます。

「どれどれ」

後れて呼ばれてきた広恵司の聶只児(ジャンキール)だけが、その様子を見て、

我識此証。

我、この証を識れり。

「ああ、この症状ならわかりますぞ」

と言いまして、診察箱から剪刀(ナイフ)を出してきた。

舌を左手で持って、

以剪刀剪去之。

剪刀を以てこれを剪去す。

ナイフでじょりじょりと、舌を切り取ってしまった。

少頃、復出一舌、亦剪之。

少頃、また一舌を出だすに、またこれを剪る。

しばらくすると、またもう一枚、びろろーん、と舌が出てきた。聶只児はまたそれもじょりじょりと切ってしまった。

又于其舌両側各去一指許、用薬塗之。

又、その舌の両側におのおの一指ばかりを去り、薬を用いてこれに塗る。

さらに、残った口の中の舌の左右両側を指一本分ぐらい切り取ってしまい、あとは創口に薬を塗りつけた。

しばらくすると、王は意識を取り戻し、

而癒。

而して癒えたり。

やがて治ってしまった。

亦異証也。

また異証なり。

なんとこれはまた、変わった症状ではないか。

なお、

広恵司、回回医人隷焉。剪下之舌、尚存。

広恵司は回回医人の隷なり。剪下の舌、なお存す。

広恵司というのは、イスラーム医学士たちの附属施設である。それから、切り落とした舌は、聶只児がそのまま保管しているそうである。

翌年の三月二十九日に、わたしが役所の仕事を終えて弁当を使っているときに、聶只児(彼は也里可温(エリカオン)族である)自身から聞いた話である。

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「山居新語」より。なるほど、本人から聞いたのか。これは信憑性が高い。が、絶対に真似してはいけません。(なお、これの元ネタです→これ

 

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