ネコのしっぽを踏んづけたら、にゃにゃーん!と怒って何が起こるかわかりません。危ういかな!
今日はいわゆる花曇りでサクラの下でゴロゴロしてきましたが、夜になって雨が降ってきた。おそらく明日は洞穴の中でも春眠暁を覚えられませんよ。
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今晩は洞穴におられる先輩に、どうしてここに入られたのか、話を聞いてみた。
劉元英、号海蟾子、広陵人。
劉元英、海蟾子(かいせんし)と号し、広陵の人なり。
「わしは劉元英といい、海蟾先生と呼ばれたのじゃ。揚州・広陵の出身である」
「蟾」(せん)はヒキガエルのことですから、「大きな水辺のヒキガエル先生」と呼ばれていたんです。
劉元英は、五代の混乱期に華北のどこかで役人をやっていたのだそうですが、
一日、有道人来謁、索鷄卵十枚、金銭十枚置几上、累卵於銭、若浮屠状。
一日、道人来謁する有りて、鶏卵十枚、金銭十枚を索めて几上に置き、銭に卵を累ね、浮屠の状のごとし。
「ある日、道教の修行者の格好をした人が面会を求めて来た。会ってみると、そのひとは、
―――タマゴを十個と銭を十枚、お貸しいただけますかな。
と言うんじゃ。そのとおり与えてみると、そのひとはそれらを卓上に置き、タマゴの上に銭を置いてその上にまたタマゴを置きその上にまた銭・・・というように、まるで仏塔のように重ね始めた」
かくして十個のタマゴと十枚の銭を積み重ねて見せた。
ゆらゆらと揺れ、今にも崩れ落ちそうである。
劉元英は思わず、
危哉。
危ういかな。
「危ない!」
と言ったが、その人曰く、
人居栄楽之場、其危有甚於此。
人の栄楽の場に居るは、その危きことこれより甚だしき有り。
「ひとが栄華や快楽の社会に暮らしていることの危険さは、このタマゴの塔よりも甚だしいのですぞ!」
と。
それからその人は
復尽以銭擘為二、擲之而去。
またことごとく銭を以て擘(へき)して二と為し、これを擲ちて去る。
今度は、間にはさまれた銭を十枚、次々と抜き取った。この銭をすべて二つに引き裂いて投げ捨てると、ふっといなくなってしまった。
茫然としていると、
がらがらがら・・・
タマゴが崩れ落ちて、テーブルの下で割れたのであった。
「・・・わしはこのことがあってから、シゴトを辞め、
易服従道、歴游名山。
服を易(か)えて道に従い、名山を歴游せり。
道教徒の服に着替えて道教の修行に従事し、各地の山岳修行場で修行してきたのじゃ」
なんだそうで、洞穴の中で修行中とのこと。
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明・徐学謨等「萬暦湖広通志」より。この海蟾子さまは、明の時代以降は、財産と子宝を恵んでくれる神として、崇拝されているんだそうです。
「そんなエラい神さまがこんな洞穴にいなくてもいいのでは・・・」
「いやいやこちらが本体で、崇拝されているのは幻像なのじゃ」
とのことである。なるほど、それなら納得がいく。