もうすぐニャコたちも花と月に迷って、悩ましく鳴く季節になるのだ。酔ってからみはじめるやつもいるカモ。
だんだん暖かくなってきました。
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南朝の斉の時代、
有童謡曰、襄陽白銅蹄、反縛揚州児。
童謡有りて曰く、襄陽の白銅蹄、反縛す揚州児、と。
「童謡」は「こどものうた」ではなくて、奴隷である「童」が誰からともなく歌い出す「うた」のことで、なぞなぞのような詞なのですが、古来それが何かの予言になっている、とされてきたものです。逆に、何かを狙う者が「童」たちにある歌をうたわせると、それが予言となって一定の事態を実現していくこともありうる。
不思議な歌が流行った。その歌の詞は、「襄陽の白い銅のひづめ、揚州野郎を縛り返す」というのであった。
識者言銅蹄謂馬也、白、金色也。
識者言う、「銅蹄は馬を謂うなり、白は金色なり」と。
物知りの誰かがこれを解いて曰く、「銅のひづめ、とは馬のことであろう。白いというのは黄金の色だ」と。
そして、
「黄金に飾られた馬とは、なんなのかなあ。揚州のやろうとどうするのかなあ。よくわかりませんなあ」
と言いまして、にやにやした。
この「識者」が何かを狙っていなかった、とも言い切り難い。彼が黒幕かも・・・。
やがて、雍州刺史・蕭衍が兵を起こし、紆余曲折あってついに斉に代わって梁を建てた。これが梁の武帝(在位502〜549)であります。
このとき、
義師之興、実以鉄騎、揚州之士皆面縛、如謡言。
義師の興るや、実に鉄騎を以てし、揚州の士みな面縛すること、謡の言の如し。
「面縛」は後ろ手に縛られること。
反乱軍が編成されたとき、その中心になったのは、鉄の鎧で防御した馬を使った重装騎兵であった。そして、都のある揚州のひとびとは、みな後ろ手に縛られて捕らえられたので、先の童謡の予言が実現されたのだ。
わーい、よかったなあ。
そこで、
即位之後、更造新声、帝自爲之詞三曲、又令沈約為三曲、以被絃管。
即位の後、さらに新声を造り、帝自ら為(つく)るの詞三曲、また沈約をして三曲を為らしめ、以て絃管を被らしむ。
建国・即位の後、改めて新しい一曲を作り、武帝自ら三番までの詞を、また重臣の沈約にもう三番の詞を作らせて、笛や琴の伴奏をつけたのであった。
これが「白銅鞮」(はくどうてい)という歌(楽府)であります。
・・・・・・・以上、「隋書」楽志より。
唐の時代、李白が漢水のほとり、襄陽の町にやってきました。
「ここはええとこやのう」
と言いまして、作る所の「襄陽の曲」四首、その第一に曰く、
襄陽行楽処、 襄陽は行楽の処、
歌舞白銅鞮。 歌舞す、「白銅鞮」。
襄陽の町は楽しいことのあるところ、
歌うは「白銅鞮」の曲、それに合わせて舞い踊る。
江城回淥水、 江城は淥水(ろくすい)を回らせ、
花月使人迷。 花月は人を迷わしむ。
川べりにあるこの町は、ぐるりと青い水がめぐり、
花と月がひとを迷わせて返さない。
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おいらも花月のひとを迷わしめる季節になったら洞穴出ますけど、いましばらくは出ません。外の世界イヤなので。なお襄陽の町についてはこちらも参照ください。