うひゃひゃ。
熱出たり、体重増えたり、大弾圧を食らったり、ひどい一週間でした。・・・が、やっと週末。久しぶりで笑顔も出る。
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こんな毎週毎週でどうなっていくのでしょうね。
唐の終わりころのことですが、春の終わりのある日、おいらは湖北の地で、漢水の流れをながめていたものでしたなあ。
溶溶漾漾白鷗飛、 溶溶とし、漾漾として、白鷗飛び、
緑浄春深好染衣。 緑浄く春深くして衣を染むるに好ろし。
「溶」は「水がたっぷりある」こと、「漾」は「水がただよう」こと。
ゆったりとゆたかな川の水が、ただよい流れて行き、白いカモメが飛んでいる。
淵はみどりに澄みきって、春深い季節、着物をうまく染められそうな色合いだ。
今より百年ほど前に李白大先生が、
遥看漢水鴨頭緑。 遥かに漢水を看れば、鴨頭の緑なり。
遠くから漢水を観ると、カモの頭の毛のように濃い緑色だなあ。
といった(「襄陽曲」)。この「鴨頭緑」(おうとうりょく)というのは、唐の時代の染色の一種だそうで、それ以来、漢水という川の緑色の水は、着物の色であるということになっていた。
この風景の中、旅ゆくおいら。
南去北来人自老。 南に去(ゆ)き北に来たり、人おのずから老いぬ。
夕陽長送釣船帰。 夕陽長らく送る、釣船の帰るを。
南に行き、北に帰り、ひとは勝手に老いていくのだ。
夕日はいつまでも、釣舟が漁村に帰っていくのを見送っている。
おそらくあと少しで、おいらの旅も終わり、しかるべき地に帰るのだ。
いつまでもツラい場に付き合ってはいられない。
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引用の詩は唐・杜牧「漢江」でございます。さてさて、明日もどこか出かけまちゅかね。おのずから老いゆくために。