ドウブツだって前向きにシゴトしているのにニャ。
会いたいひともあったのだが、今日は頭・のど・腹などがキモチ悪いので帰ってきた。もう引退か。
引退前に、一昨日の答えだけでも書いておかないと・・・。
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一昨日は八幡大菩薩が地位を○○○に譲る、と言い出したのでした。
其位記、左大臣正二位菅原朝臣霊魂表者、右八幡大菩薩起八万軍、奉授朕位。
その位記は、左大臣正二位菅原朝臣が霊魂の表すらく、右八幡菩薩八万軍を起こし、朕が位を奉り授けんと。
その任命の書は、左大臣正二位の菅原朝臣(道真公のことである)の霊魂が記述したのであるが、
―――右 八幡大菩薩は八万の軍を起こして、朕の地位を譲渡申し上げる。
というのである。
さらに、浄土で奏されるという三十二種の音楽を奏でて、
早可奉迎之。
早くこれを迎え奉るべし。
すみやかにそのひとをお迎え申し上げようではないか。
とおっしゃるのであった。
ここにおいて、
将門捧頂再拝。
将門、頂に奉じて再拝す。
将門さまは、頭を下げて、二度礼拝した。
ああ、なんと! この○○○は「平将門」さまだったのです。
況四陣挙而立歓、数千併伏拝。
いわんや四陣は挙げて立ち歓び、数千は併せて伏し拝す。
もちろん将門さま親衛の四方面の部隊はみな立ち上がって歓びに沸き、さらに数千の人民たちは、平伏して将門さまを拝み申し上げた。
武蔵権守兼常陸掾・藤原玄茂ら側近の仲間たちは
喜悦譬若貧人之得富、美咲宛如蓮華之開敷。
喜悦することたとえば貧人の富を得るがごとく、美咲すること宛(あたか)も蓮華の開敷するが如し。※
まるで貧乏人が富を得たときのように喜び、まるで蓮華の花の開くかのようににっこりと笑った。
於斯、自製奏諡号、将門名曰新皇。
ここにおいて、自ら製して諡号を奏し、将門は名づけて新皇と曰う。
ことここに至って、仲間たちは新しい称号を将門さまに奏上した。このときから、将門さまは「新皇」と名乗られるようになったのである。
ああおそろしや、将門さまの御謀叛である。(こちらも参照→「日本外史」)
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たいへんなこと、とは天慶の乱だったのです。著者不明「将門記」より。正直漢文としては達意とは言い難い文章ですが、※の比喩、特に「貧乏人が富を得たときのよう・・・」というのは、身につまされるところである。
なんか、じんましんみたいなのできてきた。もう寝ます。ダニかも。