暖かくなってきて巣を作ったのに、なんでおれのところに寄っていかないのかと怒るくものすけである。
シゴトはツラかったらしいがわしは洞穴の中でじっとしていたのでよくわかりません。明日は暖かいのかな。東日本震災の年はこの時期やたら寒かった記憶がありますが・・・。
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殷の高宗が祖先を祀るお祭りをしたところ、
有飛雉升鼎耳而雊。
飛雉有りて鼎耳に升(のぼ)りて雊(な)けり。
雉が飛んで来て、(先祖のお祭りに煮物を容れて奉っている青銅器の)なべの耳に止まり、「けけけ」と鳴いた。
高宗武丁は殷の22代目の王さまになります。ちなみに殷の最後の紂王が30代目。
このとき、
「これは(おそらくよくない)兆しですぞ!」
と言いまして、
祖己訓諸王、作高宗肜日、高宗之訓。
祖己(そき)のこれを王に訓(おし)えて、「高宗肜日」「高宗之訓」を作れり。
賢者の祖己が、その意味を王さまに説明し、(それを記録して)「高宗の肜(まつ)りの日」と「高宗の訓示」の二つの文書が作られた。
そうなんです。
ただしこのうち「高宗之訓」は逸失した、とされ、「高宗肜日」だけが遺されておりますので、読みます。
高宗肜日、越有雊雉。祖己曰、惟先格王正厥事。
高宗の肜(ゆう)せる日、越(ここ)に雊ける雉有り。祖己曰く、「これ先の格王は厥(そ)の事を正せり」と。
高宗さまがご先祖を祀る「肜」のお祭りをしましたとき、なんと、鳴きながらキジが現れたのです。それを見て祖己さまはおっしゃった、
「いにしえの立派な王さまたちは、(キジが現れるという予兆があったときには)ご自分の行動を正しくされたものである」
と。
そして、王さまに向かって、これをさとして申し上げたのじゃ。
惟天監下民、典厥義。降年有永有不永、非天夭民、民中絶命。
これ天は下民を監(かんが)みるに、その義を典(つね)とす。降年には永き有り永からざる有るも、天の民を夭するにあらず、民の命を中絶するなり。
「天は、地上のわれら人間を監督するに当たって、正義をぶれさせることはありません。天が(人間に)降す寿命というものは、長いものも短いものもございますが、(短いものも)天が人間を若死にさせるのではなく、人間が自らの命数を途中で絶ってしまうのです(。多くは人災なのです)」
また、
民有不若徳、不聴罪、天既孚命正厥徳。
民の徳に若(したが)わず、罪に聴(したが)わざる有れば、天既に、孚(まこと)にその徳を正さんことを命ず。
「人間がなすべきことをせず、またそれによって罰を受けてもいうことを聞かないのであれば、天は昔から(天災などにより)、真摯にそのなすべきことに戻るように命じているのです」
そこで祖己さまは声音を改めまして、
乃曰、其如台。嗚呼、王司敬民、罔非天胤典。祀無豊于尼。
すなわち曰く、それ、台(われ)の如し。ああ、王司るは民を敬うなり。天の胤典にあらざるなし。祀るには尼(ちか)きに豊かにする無かれ。
そしておっしゃった。
「わたしの言っていることは間違ってはおりませんぞ! ああ、王さま、あなたの仕事は人民を大切にすることなのです。それこそが、天から引き継いだ常なる使命ですぞ。また、お祭りのとき、(お供えものをご自分に)近い祖先にばかり大盛にするのはいけません」
これでおしまいです。
最後に突然お供え物の話が出てくるのは、今回のお祭りでお供え物の量を間違っていた、だから悪い予兆が起こったのだ、というようなことを指摘しているのでしょう。
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「尚書」(書経)・商書第十五「高宗肜日」より。あのときにも後で思い合わせれば、という悪い予兆はたくさんあったのだと思いますが、賢者でないからわかりませんでした。
なお、この短い記述の中でも、「肜」のお祭りというのはどういうお祭りか、とか、高宗が祀ったのではなく高宗が祀られているのではないか、とか、「祖己」という人物は賢者みたいなふうに登場するが、甲骨文によれば高宗の子どもの一人で、単に「祭り担当」だっただけではないか、とか、いろんな学説があって、そういうのを読んでいるとたいへん楽しいのですが、平日の夜がもう遅いので涙ながらに省略します。
また、「祖先祭りのとき、青銅器に鳥が止まる」ということについては、次のような説があります。ご参考にされたい。
「・・・祖霊信仰と青銅器との関係から考えれば、この雉は、祭祀に際して青銅器に来寄る祖霊を表すのであろう。たとえば、祭祀のための青銅器を表わす金文
「彝」(い)
の字体は、鳥の足を手で持つ形を象る。祖霊が鳥の形で銅製の彝器に降臨するという信仰がくずれる過程で成立したのが、この(「高宗肜日」という)説話であると考えられる。」(尾崎雄二郎・小南一郎「世界古典文学全集 書経」(昭和44年筑摩書房)訳注)