平成31年3月10日(日)  目次へ  前回に戻る

小豆洗って〇十年のベテランであるアズキアライくんだが、ミミチリ坊主やシーサーや島ネズミなどから見ればまだまだひよっこである。説教されるかも知れない。

明日はシゴトがかなりツラい予定。・・・どうせ洞穴の中にいて出勤なんかしないのだからどうでもいいのですが。

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説教を聞いてみます。

・・・五代のころのこと、ある僧が法眼文益和尚に訊ねましたんじゃ。

十二時中如何行履。

十二時中、如何ぞ行履せん。

「一日十二刻の間、どのように行動すればよろしいのでしょうか」

和尚は答えましたんじゃ。

歩歩踏着。

歩歩に踏着せよ。

「一歩一歩踏みしめていくんじゃ!」

「はあ」

夫出家人但随時及節便得。寒即寒、熱即熱。

それ、出家人はただ時に随い節に及んですなわち得。寒なれば即ち寒、熱なれば即ち熱たれ。

「出家人という者は、ただ時節に随い、季節に応じていればよいのである。寒い時には寒がれ、熱い時には熱がるのじゃ!」

とのことであったのじゃ。

それにしても、今日あたりはだんだん暖かく、花粉も飛んで、春になってきましたなあ。

春になると虫も飛ぶ。

釈迦如来はおっしゃった、

沙門入聚落、猶如蜂採花。但取其味、不壊其色。

沙門、聚落に入らば、なお蜂の花より彩るが如くせよ。ただその味を取りてその色(しき)を壊さざれ。

出家者がひとびとの住む集落に入ったときは、ハチが花から蜜を取るようにしなさい。

 (食べ物を喜捨していただき)その蜜をいただくだけで、花そのものを壊さないように(ひとびとの生活のジャマをしないように)。

と。美しいことばじゃなあ。

さて、

何不順這時節。十二時中逢縁遇境、但取其味、莫壊其色。

何ぞこの時節に順わざらん。十二時中に縁に逢い境に遇いて、ただその味を取り、その色を壊すことなかれ。

どうしてこの目の前の時機とか季節に順応していかないでいられようか。一日中、原因によって事物が現出し、ある状況に遭遇する。君たちはその状況を味わう(対処して心を働かせる)こととなるが、そのモノ自体を壊してしまってはいけない(新しい原因を作って結果を生み出すな)。

ところで、おまえさん。

「はあ」

向爾道、稟他万縁印、被他万法証、須是不壊色香之時節也。離此若有。則万象為汝証明。

爾に向かいて道(い)わん、他(か)の万縁の印を稟(う)け、他の万法に証せらるは、すべからくこれ色香を壊さざるの時節なり。これを離れていかんが有らん。すなわち万象汝がために証明せん。

おまえさんに言っておくぞ。いま目の前に、無数の事物によって印象づけられ、無数の存在によって明示されているのは、すべてモノ自体を壊してはならないという時機時節ではないのか。この目の前のモノを離れてどうしようというのじゃ。無数のものごとが、おまえのためにそのことを証明してくれているぞ。

「はあ」

まあいいや、

山僧事不得已道。

山僧、事やむを得ずして道うなり。

わしは、いろいろやむを得ないので、教えてやったんじゃからな。

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「道元禅師語録」より。鎌倉時代の道元禅師の説教でした。

ありがたいなあ。寒い時は寒がれ、熱いときは熱がれ。それなら、イヤな時はシゴトに行くな、ということでいいのかも・・・。

 

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