こんな寒い季節にハコから出されたのでは、お雛様も切れて深夜に動いたり、髪の毛が伸びたり、目が合うとにやりと笑ったり、するかも知れませんね。
今日は雨降って寒かった。しかし凍てつくような寒さではなく春が近づいているのがわかる程度の寒さであった。しかしまだ春は遠いので、洞穴の中からは出ません。
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去年も同じ話したんですが、みなさん覚えてないかも知れないので、またまたしてみます。
晋の武帝(在位265〜290)が尚書に質問しました。
三日曲水其義何指。
三日の曲水、その義何をか指す。
「三月三日には曲水の宴というのをすることになっておるが、それはどういう意義があるのであろうか」
尚書・摯虞(しぐ)答えて曰く、
漢章帝時平原徐肇以三月初生三女、至三日而倶亡。一村以爲恠、乃相携之水浜、盥洗。因水以泛觴、曲水義起於此也。
漢の章帝の時、平原の徐肇、三月初をもって三女を生ずるに、三日に至りてともに亡ぶ。一村以て恠(あやし)みを為し、すなわち相携えて水浜に之(ゆ)き、盥洗せり。因りて水以て觴を泛ぶ、曲水の義はここに起これり。
「後漢の章帝(在位75〜88)のときのことでございますが、山東・平原の徐肇というひとの家で、三月の初日に三人の娘が生まれたそうなんです。ところが、三日までに、三人の娘はみんな死んでしまった。村人たちは(「ケガレのせいでタタリがあったのではないか」と)心配になり、みなで手を携えて水辺に出かけ、手を洗って身を清めた。このことから、水に杯を泛べる曲水の風習が始まったと申します」
「なんと」
帝はしきりに頷き、
若如所談、非嘉事。
もし談ずるところの如くんば、嘉事にあらざるなり。
「おまえのいうとおりだとすると、めでたい行事というわけではないのじゃな」
と言いました。めでたくない行事を執り行うことはできません。三月三日の曲水の宴席は取り止めにした方がいいのか・・・。
尚書・摯虞がそのことを束皙(そくせき)に告げると、束皙はすぐ帝の前に赴き、
小生不足以知之、臣請説其始。
小生はこれを知るに足らず、臣その始めを説かんことを請う。
「若造どもはそんなことを知っているはずがございませんぞ。やつがれが、曲水の始まったときのことをご説明いたしましょう」
と言って、滔々と説明しはじめた。
昔周公城洛邑、因流水以泛酒。故逸詩云、羽觴随波。
昔、周公の洛邑に城(きづ)くに、流水に因りて以て酒を泛ぶ。故に「逸詩」に云う、「羽觴、波に随えり」と。
むかし、周の初めのころ(紀元前十二世紀)、聖人宰相の周公さまが川のほとりの洛陽の地に東の都を築かれたとき、労働者たちにお酒をふるまおうとして、一人一人に注いで回る煩を避けるため、流れる水に杯を浮かべて銘々に取らせたのです。このため、今では全体の伝わらない散佚した詩の中に、「羽のような盃が、波のまにまに浮いている」とうたわれているのでございます。
「なるほどのう」
又秦昭王三日置酒河曲、見有金人出捧水心剣、曰、令君制有西夏及秦覇諸侯。
また、秦の昭王、三日に酒を河の曲に置くに、金人の出でて水心剣を捧げ、「君をして西夏を制有せしめ、秦を諸侯に覇たらしむるに及ばん」と曰う有るを見る。
また、こんなこともございました。秦の始皇帝の三代前の王である昭王さま(在位前306〜前251)は、ある年の三月三日に、黄河が曲がったところにお酒を置い(て、河の神を祀っ)た。すると、河から金色のひとが出現し、「水心剣」という宝剣を王に捧げたのだそうでございます。そのとき、金色のひとが言うに、
「(この剣を与えられた)あなたは、黄河の源である西夏の地を支配することになり、やがて秦の国は諸侯を支配し、天下を統一することになりましょう」
と。
此処立為曲水祠、二漢相縁皆為盛集。
この処に曲水の祠を立て為し、二漢相縁りてみな盛んに集まりを為せり。
そこで秦王はその場所に「河の曲がったところ」という祠を立てました。このことから、前漢・後漢にわたって、三月三日にはこの場所に多くのひとびとが集まって盛んに集会を開くようになったのです。
「・・・これが、三月三日に曲水宴を行うようになった次第にございます。まことにメデタイしるしではございませんか」
これを聞きまして、武帝はおっしゃいました。
善。
善し。
「すばらしいのう」
そして、
賜金五十斤。左遷摯虞為陽城。
金を賜ること五十斤なり。摯虞を左遷して陽城と為せり。
束皙に黄金約11キログラムを賜った。一方、摯虞の方は尚書をクビにして、山西・陽城の知事に左遷してしまった。
「一斤」は晋の時代には220グラム強。
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梁・呉均「続斉諧記」より。王義之が曲水宴をする前に、こんな前史があったんですなあ。そして、うまく説明しないと左遷されるんだなあ。
ちなみに旧暦の三月三日だから水辺で宴会してたんです。新暦三月三日のこんな寒い季節に
「むかしのみなさんは曲水宴の季節ですね。我々ゲンダイ日本人はお雛祭りしてるんですよ、オンナの子のお祭りだー」
と言ったら、古代のチャイナのひとにも近世の日本のひとにも、失笑され、肩をすくめたりされるように思われますので気をつけてください。なお、昨年使ったテキストと違うテキスト(「天中記」所引)をもとにしたので、内容が少し違っているところがありますね。比べてみるとおもしろいなあ。