平成31年1月17日(木)  目次へ  前回に戻る

珍しい炭水化物を主食とするライオン。炭水化物は入手しやすいので獲物を追いかける必要が無く楽ちんであるが、楽ちんしているために筋肉などが弱り、あまり強くないという予想もしてなかった欠点が発生する。

今週は月曜日が休みだったから短く感じてなんとなくシアワセでした・・・と思っていたら、まだ木曜日だった。まだもう一日あるのだった!

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シアワセが暗転してしまいました。

ところで、昔、句章(こうしょう)という田舎に野人(田舎者)がおったそうです。

野人翳其藩以草、聞唶唶之声、発之而得雉。

野人その藩に草を以て翳するに、唶唶(さくさく)の声を聞き、これを発して雉を得たり。

この田舎者、家の垣根に草をかぶせて補強していたところ、草の陰から「カサコソ」という音がする。草を取り除けるとキジがいて、これを捕らえることができた。

「うっしっしー」

そこで、

又翳之、冀其重獲也、明日往聆焉、唶唶之声如初。

またこれを翳し、その重ねて獲んことを冀いて、明日往きて聆するに、唶唶の声初めの如し。

またそこに草をかぶせ、もう一回キジを捕らえることを期待して、次の日にまたそこに行って耳を澄ませてみると、「カサコソ」と昨日と同じように音がする。

「うっしっし、しっしー!」

発之而得蛇、傷其手以斃。

これを発するに蛇を得、その手を傷つけて斃る。

草を取り除けてみたところ、なんとヘビがいました。

「うひゃー」

田舎者はヘビに手を咬まれて死んでしまった。

これを聞いて、郁離先生がおっしゃった。

是事之小而可以爲大戒者也。天下有非望之福、亦有非望之禍、小人不知禍福之相倚之状也。

これ、事の小にして以て大いなる戒めと為すべきなり。天下に非望の福有りて、また非望の禍い有るに、小人は禍福の相倚るの状を知らざるなり。

「これは小さな事だが、大いに戒めとしなければならない事件だぞ。世の中には、予想もしてなかったのに与えられる幸福と、予想もしてなかったのに遭遇する災禍とがあるのに、下らぬやつは幸福と災禍が裏表になっていることを知らないのだ」

田舎者が一人死んでいるのです、「小さな事だが」は無いでしょう、と思いましたが田舎者だからまあいいか。

失意之事、恆生於其所得意。惟其見利而不見害、知存而不知亡也。

失意の事は、つねにその得意のところに生ず。ただそれ利を見るのみにて害を見ず、存を知りて亡を知らざるなり。

「悪いことは、いつもうまくいっていると思っているところから始まるのである。うまくいっていることばかり見てうまくいってないことに気づかず、前提となっていることがいつまでも続くとばかり考えて、それがひっくり返ってしまうことを想像できないからじゃ」

なるほどなあ。

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明・劉基「郁離子」巻下より。うまく行っていることがいずれは悪いことに暗転するのか、と思うとがっかりですが、だいたいのことはうまく行っていないからあまりがっかりしません。それより、今うまく行っているように見えるやつもいずれは災禍に遭遇するのだ、と考えると、なんだかうれしくなってくるではありませんか。うっしっしー!

 

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