平成31年1月16日(水)  目次へ  前回に戻る

ぶたとのに見つかって成敗されるモグ忍者。がんばってやってもどうせうまく行かないのなら、明日回しにしたくなるであろう。

冬至を過ぎて四週間近く経つが、まだ暖かくなってこないとは、どうなっているのか。明日は暖かくなるだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「明日」「明日」と言っていてはダメだ、というお話です。

毎臨事、輒曰吾不会做、此大謬也。

事に臨むごとにすなわち「吾、做(な)すを会せず」と曰う、これ大謬なり。

何かシゴトができるごとに、「わたしにはどうしていいか分からない」と言うひとがいるが、これは大いなる間違いである。

凡事做則会、不做則安能会耶。

およそ事は做せばすなわち会するも、做さざればすなわちいずくんぞよく会せんや。

だいたいシゴトというのは、やってみれば分かってくるもので、やらなければどうして分かることがあろうか。

―――うわーい、これは厳しい。

又做一事、輒曰且待明日、此亦大謬也。

また一事を做すに、すなわち「しばらく明日を待たん」と曰う、これまた大謬なり。

また、シゴトをするときに、「明日になったらしよう」と言うひとがいるが、これまた大いなる間違いである。

凡事要做則做、若一味因循、大誤終身。

およそ事は做すを要すればすなわち做す、もし一味因循すれば、大いに終身を誤まつなり。

だいたいシゴトというのはしなければならないからするのであり、もし少しでも放っておけばいいと思うなら、一生を大いに誤ってしまうことになろう。

―――うわーい、明日はダメで明後日やれ、というのかと思ったが、今日やらないといけないというのですね。

わたしの一族の銭鶴灘先生が作った「明日歌」というのがあります。みなさんの勉強になると思うので、これを付記しておきます。

明日復明日、  明日また明日、 

明日何其多。  明日、何ぞそれ多きや。

我生待明日、  我が生、明日を待てば、

万事生蹉陀、  万事、蹉跎(さた)を生じん。

 明日だ、明日だ、と言うやつがいるが、

 明日がいったいどれぐらいあると思っているのか。

 わしらの人生で、明日を待っていれば、

 どんなこともつまずいてうまく行かないだろう。

世人苦被明日累、 世人、明日の累を被るに苦しみ、

春去秋来老将至。 春去り秋来たりて老いはまさに至らんとす。

 世間のひとびとは、明日やらねばならないことが多くて苦しんでいるうちに、

 春は行ってしまい秋が来て、あっという間に年をとってしまうのじゃ。

朝看水東流、  朝(あした)には水の東に流るるを看しに、

暮看日西墜。  暮には日の西に墜つるを看る。

百年明日能幾何、百年に明日はよく幾何(いくばく)ぞ、 

請君聴我明日歌。請う君、我が「明日歌」を聴け。

 朝には川が東に流れるのを見ていたのに、

 夕方には太陽が西に沈んでいくのを見る(。それほど時間の経過は速いのだ)。

 最大百年しかない人生で「明日」というのがいったいどれぐらいあると思っているのか(明日に回していいことなんかそんなに無いのだ)、

 君よ、お願いだ、わたしの歌うこの「明日の歌」をよくよく聴いて心に留めておいてくれ。

大事な提言かとは思うのですが、肝冷斎一族には難しいかも知れません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

清・銭泳「履園叢話」巻七より。うーん、そうかも知れませんが、これは「明日やれることを今日するな」という肝冷斎一族の思想とは真っ向から反します。実際には明日になったらやらなくてよくなっていることも多いですからね。どちらがいいのだろうか。

なお、本日の岡本全勝さんのHPにて、下の図が紹介されましたので、みなさん、この図も参考にして自らの生き方を考えてください。

次へ