平成31年1月15日(火)  目次へ  前回に戻る

今日どんど火を焚かないような村や町には、ぶたデビル・ひよこデビルらの邪悪なモノたちが跋扈する・・・かも知れない。

なんと、今日は小正月で休みだ、と思っていたら火曜日で大人は平日だったとは。一族の申し合わせでシゴトには行かないことになっているので、何曜日でも関係はないのですが。

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大人が子どもより賢いわけでもないんですよ。

夫嬰児相与戯也、以塵為飯、以塗為羹、以木為胾。然至日晩必帰饟者、塵飯塗羹可以戯而不可食也。

それ、嬰児の相ともに戯るるや、塵を以て飯と為し、塗を以て羹と為し、木を以て胾(し)と為す。然れども日の晩るるに至れば必ず帰りて饟(しょう)するは、塵飯・塗羹の以て戯るべくして食らうべからざればなり。

ホイ。幼い子どもたちが一緒に(ままごとをして)遊んでいるのを見ると、土を集めてごはんにし、泥をすくってスープにし、木切れを持って来て肉の切り身にしている。しかし、日が暮れたら彼らも(ほんものの)ごはんを食べに家に帰っていくのは、土のごはんや泥のスープは、遊ぶことは出来ても、実際に食べることができないからである。

子どもでもそんなことは知っているわけです。

ところで、

夫称上古之伝、頌弁而不愨、道先王仁義、而不能正国者、此亦可以戯而不可以爲治也。

それ、上古の伝を称して頌弁すれども愨(まこと)ならず、先王・仁義を道(い)えども国を正す能わざる者は、これまた以て戯るべくして以て治を為すべからざるなり。

ホイ。昔から伝わっていることだと言って弁じたてているのだがうまく行かず、偉大な古代な王のことやら仁の道・義の道などと言い立てているのだが国家を正しく運営できていないやつらは、(ままごとと)同様に遊ぶことは出来ても、実際の統治はできないのである。

―――ああ、こんなひとはいます。たくさんいます。メディアやアカデミズムに・・・。うちの職場にも・・・。

なんですか、それは? めでいあ? あかでみでむ? そんな二千数百年後のことは知りませんが、今、この戦国時代におきまして、

夫慕仁義而弱乱者三晋也。不慕而治彊者秦也。

それ、仁義を慕いて弱乱せる者は三晋なり。慕わずして治彊なる者は秦なり。

ホイ。仁や義をすばらしいと考えて弱く乱れてしまっているのが、(晋の後継国家である)韓・魏・趙の三国であり、そんなことをすばらしいと思わずに、強固な統治に成功しているのが秦国である。

然而秦彊而未帝者、治未畢也。

然して秦彊なれどもいまだ帝たらざるは、治のいまだ畢(おわ)らざればなり。

そうして、秦が強固であるのにまだ他の国を滅亡させて天下をとっていないのは、(仁義を用いないからではなくて)統治をし尽くしていないからである。(間もなく天下をとりますよ。)

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「韓非子」巻十一「外儲説左上」より。秦は間もなく天下を取るわけですが、それはそれとしまして、二千数百年後にも、ままごとをしている人たちの声の方が大きいのは、何故なのだろうか。

 

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