平成31年1月14日(月)  目次へ  前回に戻る

巨大なパンに埋もれて暮らす人生を祈っているのだが・・・。

―――わたしが旅を企てるのは、無事に戻ってくるためでもなければ、やりとげるためでもない。動くことが楽しい間、動きたいだけである。歩き回るために歩き回るのである。・・・わたしの計画はどこででも分割ができ、大きな希望の上に立てられていない。一日一日の旅がそれの終わりである。わたしの人生の旅も同じ調子である。(モンテーニュ「エセ―」三巻九章より。ただし、岡本全勝さんから半永久的に借りてきた「旅するモンテーニュ」(斎藤広信・法政大学出版局2012)からの孫引きです。)

ということで、また旅をしていたのさ。このあたりをさまよっていたのさ。

旅してる間に連休も終わり、明日から平日ですが、一族の申し合わせでシゴトには行かないことにしました。

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それにしても、

善談者莫儒生若也。

善談者は儒生に若(し)くは莫(な)し。

儒学をかじっているやつほどコトバを操るのが巧いやつはいない。

と申します。

老拙幼学時同舎生劉垂尤有口材。

老拙が幼学時の同舎生・劉垂、尤も口材有り。

ダメ老人(であるこのわし)が少年時代に同じ学校で学んだ劉垂というやつ、これは本当にコトバを並べるのが達者であった。

なにしろ、当時、

虚空錦(「なにもないところに織り出す錦」

とあだ名されたほどなのである。

彼が

説他時得志事、余嘗記一。

他時、得志の事を説ける、余かつて一を記せり。

いつの日か、(科挙試験に合格して富貴を得るという)志を果たしたときにやりたい事について話していたのを、わしは一つ覚えている。

曰く―――

有銭当作五窟室。

銭有ればまさに作すべし、五窟室。

カネができたら、岩窟の中に(隠棲して)五つの部屋を設けたいものだなあ。

五つの部屋とは、

呉香窟尽種梅株、秦香窟周懸麝臍、越香窟植巌桂、蜀香窟栽椒、楚香窟畦蘭。

呉香窟にはことごとく梅株を種(う)え、

秦香窟には麝臍を周りに懸け、

越香窟には巌桂を植え、

蜀香窟には椒(はじかみ)を栽え、

楚香窟には蘭を畦えん。

呉の国の香りの部屋にはウメの木ばかりを植えて(ウメの香りで満たし)、

秦の国の香りの部屋には、部屋の周りにジャコウジカのへそを引っ掛けて(ジャコウの匂いで満たし)、

越の国の香りの部屋には、岩に纏わる月桂の木を植えて(月桂の香りで満たし)、

蜀の国の香りの部屋には、ハジカミの草を植えて(ハジカミの香りで満たし)、

楚の国の香りの部屋には、蘭の花を部屋の脇に植える(ランの香りで満たす)のさ。

そうしてさ、

四木草各占一時、余日入麝窟、便足了一年死且為香鬼。況於生乎。

四木草はおのおの一時を占め、余日は麝窟に入り、すなわち一年を足了して死すれば、まさに香鬼とならん。いわんや生けるをや。

四つの木と草の部屋には、それぞれの盛り、梅は春、月桂は夏、ハジカミは秋、蘭は冬の季節に暮らすのだ。間の日にはジャコウの部屋に暮らすのだ。そうやって一年一周して死んでしまえば、香りの精霊になれるだろう。もしも生きていられれば、どんなにか爽やかな人になるだろうか。

―――これを彼はいい気になって、立て板に水としゃべりまくっていたものだ。

あれから何年経っただろうか。あのとき、やつの話をにやにやしながら聞いていた友たちの中で、いかほどがまだ生きているだろうか。

劉垂についていえば、

其人仕而貧、財不副心而卒。

その人仕えて貧しく、財、心に副わずして卒す。

やつは仕官はしたものの貧しいままで、思ったようなカネを手に入れる前に死んだのさ。

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宋・陶轂「清異録」巻三より。五香窟は夢のままで終わりましたか・・・。あれ? そういえば、おいらも何かしたいことがあって、そのためにシゴトでおカネを貯めていたような気がするぞ。見果てぬ夢さえ見られなくなる前に、思い出さないと・・・。

 

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