運命を甘受せねばならぬときもあるのじゃ。
今日は食べ放題に行ってしまい、たいへんなことになった。しかし食べ放題で食べないということはできず、これも運命であろうと甘受するしかないであろう。
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元の成宗の大徳年間(1297〜1307)、河西から来た胆巴(たんぱ)という僧侶がおって、
朝廷事之、与帝師幷駕。
朝廷これに事(つか)うること、帝師と幷駕せり。
帝室がこの方をいろいろお世話すること、帝師といわれたパスパさまと馬車を並べるぐらい(同等)でありました。
このころ、徳寿太子さまが薨去した。
不魯罕皇后遣使致言于師、曰我夫婦以師事爾至矣。止有一子、何不能保護耶。
不魯罕(ぶるはん)皇后、使いを遣りて師に言を致さしめ、曰く、「我ら夫婦以て爾に師事すること至れり。ただ一子有り、何ぞ保護あたわざるや」と。
皇后ブルハンさまは、胆巴のもとに使者を送り、こう言ってきた。
「わたしども夫婦(皇帝と皇后)はあなたさまにたいへん忠実に尽くしてまいったつもりです。そしてわたしどもにはただ一人しか子はおりませんでした。どうしてその子をお守りくださらなかったのですか」
わーい、どう答えればいいのでしょうか。下手な答えをするとクビが飛びます。
胆巴師は使いの者に対しておっしゃった、
仏法譬若燈籠、風雨至則可蔽、若爾燭尽、則燈籠亦無如之何也。
仏法は譬うれば燈籠のごとし、風雨至ればすなわち蔽うべきも、もしその燭尽くれば、すなわち燈籠またこれを如何ともする無けん。
「仏法と申しますのは、たとえて申せば燈籠のようなもの、風や雨から中の灯りを守ることは確かにできまするが、もし中の蝋燭自体が燃え尽きるときには、燈籠にはそれをどうすることもできませぬのじゃ」
なるほど、わっはっはー。
可謂善于応対。
応対に善なるものと謂いつべし。
うまく答えたものだと言えましょう。
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「山居新話」より。高僧ならもっと「いい話」をして運命の甘受を慫慂してくれるべきだと思うのですが・・・。