平成31年1月11日(金)  目次へ  前回に戻る

寒いのにあっぱれな勇者よのう。

今日も寒かった。

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寒いから囲炉裏の周りに集まって、勇者の話でもして暖まろう。

源頼光は鎮守府将軍満仲の子である。

為人英武、善射以将略称、嘗養豪士。

人ととなり英武、射を善くして将略を以て称せられ、嘗て豪士を養えり。

その性格は英雄の気質があって猛々しく、弓射が上手で、将才があると称えられ、すばらしい豪傑たちを部下にしていた。

渡邊綱、阪田公時、碓井定道、卜部季武の四人であり、

是世所謂四天王者也。

これ世にいわゆる四天王なるものなり。

彼らこそ、今も世に伝わる「頼光四天王」なのである。

三条帝(在位1011〜16)の時、

洛北八瀬山中有鬼窟、窟径通丹之大江山、鬼魅移居悩殺路人。

洛北八瀬山中に鬼窟ありて、窟ただちに丹の大江山に通じ、鬼魅移居して路人を悩殺す。

京都の北の八瀬の山中に鬼の棲む岩屋があり、その奥は丹波の大江山にまで通じていて、鬼や小鬼どもはこの通路を利用して移動し、旅人を困らせ殺していた。

現代語の「悩殺」であればヤラれてもいいのですが、この「悩殺」は文字通り苦しめ悩ませて殺すことです。

頼光奉勅、至鬼窟遂殺之。

頼光、勅を奉じて鬼窟に至り、遂にこれを殺せり。

頼光は陛下のご指示により、鬼の窟屋に行って、いろいろあったが最終的にそいつを殺したのであった。

すばらしい。「鬼」はどんどんやっつけていただきたいものです。

次に、仁田忠常は四郎と称し、鎌倉将軍に仕えて、鎌倉武士の中でも、

胆気絶人。

胆気人に絶す。

肝っ玉が(太くて)普通の人とは違うレベルだぞ。

と言われたほどのひとである。

将軍頼家に従って富士山麓に巻き狩りをしたとき、

有洞焉、世称人穴。使忠常窮之、賜以佩刀。

洞有り、世に人穴と称す。忠常をしてこれを窮めしめんと、賜るに佩刀を以てす。

洞窟があった。地元民に訊ねると「人穴」というものであるという。

「よし、忠常にこの奥になにがあるか、確かめさせよう」

と言いまして、将軍自ら帯びておられた刀を賜って命じたのであった。

忠常は五人の侍たちを引き連れて洞窟に入って行った。

・・・夜になって、忠常は戻ってまいりました。お伴の侍は一人しかおらず、蒼ざめた顔で将軍のもとにて反奏して曰く、

洞口狭暗、持炬乃入、鞠躬稍進、不能転歩、冷水砭足蝙蝠撃面、行可数里、前有大河焉。

洞口狭暗にして、炬を持ちてすなわり入り、鞠躬してやや進むに、転歩するあたわず、冷水足を砭し、蝙蝠面を撃ち、行くこと数里ばかりにして前に大河有り。

―――洞窟の入り口は狭く、暗くて、松明を持って入りまして、身をかがめてしばらく行きましたが、背後に戻ることもできない狭さでございました。冷たい水が足を刺し、コウモリがばさばさと顔面にぶち当たる。・・・このようにして10キロばかりはいりましたところ、前に大きな地下水路が現れたのでございます。

怒浪傾潟不可復進。火発於前岸、四士悸死、臣以爲神告也。沈賜剣於河。

怒浪傾潟してまた進むべからず。火、前岸に発し、四士悸死す。臣以爲(おもえ)らく神の告ぐるならんと。賜剣を河に沈めたり。

激しい波が涌き、流れも速く、これ以上進むのは難しい、と立ちすくんでいたところ、空気が振動し、川の向こうからまぶしい「火球」が現れました。その光を浴びた四人の侍たちは、その場で心臓が止まり、死んでしまったのです。

わたくしども二人は岩陰に隠れ、おそらくは神霊が「これ以上進んでならぬ」と告げておられるのだと思いまして、いただいた剣を解き、

「鎌倉将軍よりのご挨拶品にございます」

と申し上げて、川の中に捧げました。

すると、ようやく「火球」の光も弱まったので、二人で引き返してきたのでございます。

僅以身遁不能窮源、死罪是請。

僅かに身を以て遁れ源を窮むるあたわず、死罪これ請わん。

なんとかこの身だけは無事で逃れてまいりましたが、洞窟の奥を窮めることはできませんでした。どうぞ死罪にしてくださいませ。―――

ああ、かくのごとき勇者とはいえ、洞窟の中を窮めることはできなかったのである。地下にははかり知られぬ恐ろしい世界が広がっているのだ。

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「皇朝蒙求」巻下より「頼光鬼窟・忠常人穴」でございました。英雄たちの活躍に、少しは熱い思いが湧いてきたのではないでしょうか。おしまい。

 

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