寒いのにあっぱれな勇者よのう。
今日も寒かった。
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寒いから囲炉裏の周りに集まって、勇者の話でもして暖まろう。
源頼光は鎮守府将軍満仲の子である。
為人英武、善射以将略称、嘗養豪士。
人ととなり英武、射を善くして将略を以て称せられ、嘗て豪士を養えり。
その性格は英雄の気質があって猛々しく、弓射が上手で、将才があると称えられ、すばらしい豪傑たちを部下にしていた。
渡邊綱、阪田公時、碓井定道、卜部季武の四人であり、
是世所謂四天王者也。
これ世にいわゆる四天王なるものなり。
彼らこそ、今も世に伝わる「頼光四天王」なのである。
三条帝(在位1011〜16)の時、
洛北八瀬山中有鬼窟、窟径通丹之大江山、鬼魅移居悩殺路人。
洛北八瀬山中に鬼窟ありて、窟ただちに丹の大江山に通じ、鬼魅移居して路人を悩殺す。
京都の北の八瀬の山中に鬼の棲む岩屋があり、その奥は丹波の大江山にまで通じていて、鬼や小鬼どもはこの通路を利用して移動し、旅人を困らせ殺していた。
現代語の「悩殺」であればヤラれてもいいのですが、この「悩殺」は文字通り苦しめ悩ませて殺すことです。
頼光奉勅、至鬼窟遂殺之。
頼光、勅を奉じて鬼窟に至り、遂にこれを殺せり。
頼光は陛下のご指示により、鬼の窟屋に行って、いろいろあったが最終的にそいつを殺したのであった。
すばらしい。「鬼」はどんどんやっつけていただきたいものです。
次に、仁田忠常は四郎と称し、鎌倉将軍に仕えて、鎌倉武士の中でも、
胆気絶人。
胆気人に絶す。
肝っ玉が(太くて)普通の人とは違うレベルだぞ。
と言われたほどのひとである。
将軍頼家に従って富士山麓に巻き狩りをしたとき、
有洞焉、世称人穴。使忠常窮之、賜以佩刀。
洞有り、世に人穴と称す。忠常をしてこれを窮めしめんと、賜るに佩刀を以てす。
洞窟があった。地元民に訊ねると「人穴」というものであるという。
「よし、忠常にこの奥になにがあるか、確かめさせよう」
と言いまして、将軍自ら帯びておられた刀を賜って命じたのであった。
忠常は五人の侍たちを引き連れて洞窟に入って行った。
・・・夜になって、忠常は戻ってまいりました。お伴の侍は一人しかおらず、蒼ざめた顔で将軍のもとにて反奏して曰く、
洞口狭暗、持炬乃入、鞠躬稍進、不能転歩、冷水砭足蝙蝠撃面、行可数里、前有大河焉。
洞口狭暗にして、炬を持ちてすなわり入り、鞠躬してやや進むに、転歩するあたわず、冷水足を砭し、蝙蝠面を撃ち、行くこと数里ばかりにして前に大河有り。
―――洞窟の入り口は狭く、暗くて、松明を持って入りまして、身をかがめてしばらく行きましたが、背後に戻ることもできない狭さでございました。冷たい水が足を刺し、コウモリがばさばさと顔面にぶち当たる。・・・このようにして10キロばかりはいりましたところ、前に大きな地下水路が現れたのでございます。
怒浪傾潟不可復進。火発於前岸、四士悸死、臣以爲神告也。沈賜剣於河。
怒浪傾潟してまた進むべからず。火、前岸に発し、四士悸死す。臣以爲(おもえ)らく神の告ぐるならんと。賜剣を河に沈めたり。
激しい波が涌き、流れも速く、これ以上進むのは難しい、と立ちすくんでいたところ、空気が振動し、川の向こうからまぶしい「火球」が現れました。その光を浴びた四人の侍たちは、その場で心臓が止まり、死んでしまったのです。
わたくしども二人は岩陰に隠れ、おそらくは神霊が「これ以上進んでならぬ」と告げておられるのだと思いまして、いただいた剣を解き、
「鎌倉将軍よりのご挨拶品にございます」
と申し上げて、川の中に捧げました。
すると、ようやく「火球」の光も弱まったので、二人で引き返してきたのでございます。
僅以身遁不能窮源、死罪是請。
僅かに身を以て遁れ源を窮むるあたわず、死罪これ請わん。
なんとかこの身だけは無事で逃れてまいりましたが、洞窟の奥を窮めることはできませんでした。どうぞ死罪にしてくださいませ。―――
ああ、かくのごとき勇者とはいえ、洞窟の中を窮めることはできなかったのである。地下にははかり知られぬ恐ろしい世界が広がっているのだ。
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「皇朝蒙求」巻下より「頼光鬼窟・忠常人穴」でございました。英雄たちの活躍に、少しは熱い思いが湧いてきたのではないでしょうか。おしまい。